『ジョージア、白い橋のカフェで会いましょう』の不思議
ジョージア映画『ジョージア、白い橋のカフェで会いましょう』を劇場で見たが、何とも不思議な映画だった。サッカー選手のゲオルギは薬剤師のリザと路上で1日に2度ぶつかって、翌日にデートの約束をする。と書くと、いい感じの恋愛ファンタジーのようだが、全く違う。
そもそも2人が出会うのに、顔は遠くからしか写さない。ぶつかって女がノートを落とす瞬間は足しか見えないのだから。とってつけたような「また会いましょう」という言葉が聞こえてくる。本当の不思議はその後で男女とも呪いをかけられて、外見が全く変わってしまう。
そのうえゲオルギはサッカーができなくなり、リザは薬学の知識をすべて失う。8時に橋のたもとのカフェで会うことだけを覚えていて、リザはカフェに行き、ウェイトレスとして雇ってもらう。ゲオルギもそのカフェに行き、橋の上で鉄棒チャレンジという謎のゲームの担当になる。
この2人は次第に仲良くなるのだが、映画の大半はそれ以外のことを見せる。クタイシという古都の人々はサッカーが好きである。ワールドカップが開催され、みんなは大きなスクリーンで見せてくれる3カ所に集まる。橋のたもとのカフェはスクリーンは小さいし、映像は焦点があっておらず、人気がないが、それでも来る人はいる。
犬もサッカーが好きだが、見に行く場所はそれぞれ違う。見ていると犬も人間と同じように写していることに気がつく。子供だってそうで、彼らがぶらぶら歩き、いたずらをしてサッカーをする場面をえんえんと写す。
いったいリザとゲオルギはどうなったのかと思っていると、カップルの映画を撮るという謎の監督、カメラマン、助手が現れる。老若男女のカップルを集めて撮り始め、そのなかにリザとゲオルギも混じっていた。この撮影隊のドジぶりといったらない。
これが2時間半もあるのだが、最初の30分はちょっと眠くなった。ところがよく見るとこの映画は意図的に対象からはずしたカメラワークをし、妙なナレーションや音楽をどんどん入れ、瞬間ごとに妙にいいシーンができていることに気がつくと、だんだん面白くなってきた。
これはファンタジーを装った前衛映画なのだと気がつく。かつてはグルジアと呼ばれたジョージアと言えば、『アシク・ケリブ』のセルゲイ・パラジャーノフや『ピロスマニ』のゲオルギ・シャンゲラーヤや最近だとフランスで活躍するオタール・イオセリアーニなど前衛的天才の宝庫だったことを思い出す。
顔も手足も均等に写す。どころか犬も道も山もそうだ。そこから実に魅力的な光景が湧き上がってくる。この映画はある程度映画を見ていない人には退屈かもしれない。実際途中で出た人が2人いた。しかし映画好きにはたまらない魅力がある。
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