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2023年5月16日 (火)

今年は父が死んだ年になる:その(1)

今年は62歳になる。これは父が亡くなった年なので、妙に気になる。その頃の父は、私にはもはや老人のように見えていた。もともとすべて自分の考えで物事を進めるタイプだったが(私もそれは受け継いでいる)、この頃はもう人の話は全く聞かなくなっていたように思う。

経営していた会社はやりたい放題で、平日でも好きな時にゴルフに行っていた。私は実家に帰るたびにそれを見て呆れた。ほとんど会話をすることはなかった。小さい頃を除くと旅行に行ったこともないし、まして一緒に酒を飲みに外に行ったことは一度もない。父は外で友人と飲んだ後に家に連れてきて、母を困らせた。

父には何も相談しなかった。大学で文学部に行くことも、1年後にフランス文学を専攻することも、フランスに1年間留学することも、帰国後就職の内定をもらったのに大学院に行くことも、大学院を1年で辞めて就職するのも、そして結婚するのもすべて1人で決めた。

だから父が何を考えていたか、全く想像もできない。高校生の頃から本ばかり読み、大学では映画ばかり見ていたことを父は知っていたのだろうか。当時の私は、彼には息子の将来は関心がないのではないかと思っていた。

しかし考えてみたら、私が就職した国際交流基金が国の機関で海外勤務も多いことを言うと、ひどく喜んでいたのを覚えている。飲み友達に自慢していた。今から考えると、文学や映画に打ち込んでいたのを不安に思っていたら公務員になったと聞いて安心したのかもしれない。

私がフランスに留学する時も、帰国後大学院に行く時も、お金はすべて払ってくれた。留学は奨学金をもらっていたが、ヨーロッパ中を旅行し、どんどんオペラや映画に行っていた私にはとても足りなかった。お金を送れと母親に頼んでいたが、父が知らなかったはずはない。

それ以前に、高校の後半から大学1年生まで、肝臓の病気で病院に通ったり入院したりしたので、ずいぶんお金のかかる子供だったに違いない。大学の時には山のように本を買い、フランス語の学校と映画館に通ったが、バイトはしたことがなかった。その時は自分が金を使っていることなど考えもしなかった。

たぶん、その莫大な浪費が今の自分を作っている。父が死んだ年になってそんなことを考えて、ようやく感謝の念が生まれてきた。

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