『アダマン号に乗って』に流れる時間
久しぶりにフランスのドキュメンタリー監督、ニコラ・フィリベールの映画を劇場で見た。最新作『アダマン号に乗って』がベルリンで金熊賞を取ったからだ。彼の映画は『人生、ただいま修行中』(2018)は見逃したので、ひょっとすると『僕の好きな先生』(2002)以来かもしれない。
相変わらず説明なしでカメラが人間を捉えていくが、今回は特に最初は何のことかわからなかった。歯の抜けた中年男がロックを歌う。特にうまくはないが、どこか魅力がある。拍手する周りの人々。そこはどうも船の上のようだ。
自分の描いた絵を友達に説明する女性、自分がゴッホの生まれ変わりでヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』は自分と兄の物語だと語る男、ビザンチン帝国の話をえんえんとする青年、息子と引き離されたのが残念だという黒人女性、自分のダンスの知識をみんなと分かち合いたいと懸命に訴える中年女性。
見ていると、普通の生活にはどこか無理がある人々かなとわかってくる。「デイケアセンター」と書かれた船は毎朝開けられて、人々が自由に集まってくるようだ。船はセーヌ川に浮いているが、動いている気配はない。そのなかには看護師や医者もいるようだが、なかなか区別がつかない。ただ、カメラを前に話す人々の存在感は強い。
最後にやっと字幕で、ここが2010年にできた精神科のケアセンターであることがわかる。しかしそれだけで、いったい何のために誰がどんな目的で作ったのか、やってくる患者はどのようにしてここにたどり着くのか、何年も通う人は多いのか、そもそも成果はあがっているのか。
何もわからない。それでも出てきた人の語る圧倒的な言葉とその気配は強く心に残る。ニコラ・フィリベール監督は『僕の好きな先生』の頃に比べたら、ずいぶん自然体でカメラを回している感じがする。一生懸命に自己表現をする人間がいたら、それだけで映画になるという信念のようなものを感じる映画だった。
この映画に流れる不思議な時間の強さといったら。もともとフランス人は自己主張が強く、自分から見た世界について語りたがる。だからこの船にやってくる人が特にヘンなわけではない。見終わるとむしろまともな人々に見えてくる。
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