『KYOTO, MY MOTHER’S PLACE』を見る
英国のBBCが製作した大島渚のドキュメンタリー『KYOTO, MY MOTHER'S PLACE』(1991)を実は初めて見た。国立映画アーカイブの没後10年記念の上映だが、これが妙に心に突き刺さった。
冒頭に京都の嵐山の河畔で高女時代の母親が友人たちと写る写真が出てくる。そして大島はそのうちの2人と会って、母のことを聞く。京都に住み続けた2人はたおやかな京都弁で話すが、母は瀬戸内海で農林省の水産技師をしていた父親と結婚して去って行ったことが語られる。
大島の家族は瀬戸内海の街を転々としたようだが、「渚」という名前は海に面した生活をしていたことからつけられた。ところが彼が6歳の時に父親が亡くなり、母は子供を連れて京都へ帰った。彼は暗い京都の町屋が嫌だった。映画は間口が狭く奥の深い京都の町屋をしっかり写す。いわゆるウナギの寝床で奥の中庭からしか日が差さないし、魚はおいしくないし。
母は京都生まれでないのに京都に戻って来て自分たち子供を育てた。再婚などは考えもしなかったようだ。大島は京大法学部に進むが、演劇と学生運動に熱心で勉強はしなかったという。そして京都を嫌い続けた。比叡山を焼き討ちにした織田信長に憧れて、京都の街に火をつけたいと思っていたと語る。
就職試験はいくつも落ちて、松竹の助監督試験にだけ合格した。しばらくして女優の小山明子と結婚して子供ができると、母に東京に来てもらって2人の子供の世話を80歳で死ぬまで手伝わせた。夫に従って瀬戸内海に行き、京都で子供を育て、東京で孫の世話をさせられた母の人生はなんだったのだろうかと大島は考える。
母の兄に会って、母が本当は京都に戻りたくなかったという話を聞く。家族から何かの圧力があったのだろうか。終盤、大島は自分が育った地区の祭に参加してはっぴを着る。ニコニコしているが、どこか気分が乗っていないようでもあった。そして一度だけ神輿をかつぐ。あくまでよそ者のように苦笑いをしていた。
この映画が作られた1991年はフランス映画『マックス、モン・アムール』(1987)の後に、早川雪洲の映画『ハリウッド、ゼン』を準備していた頃だろうか。この後に再びBBC製作のドキュメンタリーで『日本映画の百年』(1995)を撮っている。実は私はこの2本のBBCの作品を頭の中でごっちゃにしていた。
それにしても和服を着て京都を歩き、「亡くなった母を思う」大島渚の姿は何とも美しく、かつ哀愁を感じさせた。実は国立映画アーカイブではこの後大島が監督した2本のPR映画を見るはずだったが、胸が一杯になって外に出てしまった。
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