國分功一郎『暇と退屈の倫理学』はおもしろいか:その(1)
いわゆる哲学書を読まなくなって久しい。大学生の頃は浅田彰の『構造と力』にはまり、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズなども読んでいたはずだが、仕事を始めてからは次第に遠ざかった。
小説は量は減ったが読んでいたし、仕事のために美術や映画の本はいつも読んだ。そのほか雑誌は手当たり次第に。今はなき『噂の真相』などは毎号読んだ。そんな会社員を20年以上やったので、頭の中がずいぶん単純になった気がする。そのうえ酒の飲み過ぎで脳細胞がだいぶやられた。
それから急に大学で映画を教えだして、とにかく古今東西の映画を大量に見直し、映画史の本をどんどん読んだ。しかし映画理論の本はあまり気が進まなかった。大学院生の時はクリスチャン・メッツなどをフランス語で読んでいたはずなのに。
前置きが長くなったが、國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』を読んだのは、例によって近所の本屋「かもめブックス」に並んでいたから。「いま、働くこと」という特集でなぜかこの本があった。私より一回り以上若いこの著者の名前は何度か聞いたことがあったし、2011年に出て話題になった本が文庫化されたのでいい機会だと思った。
そして『暇と退屈の倫理学』という題が、妙に今風に見えた。みんないつもせわしげにスマホを見て指を動かしてるが、あれは「暇」や「退屈」を逃れるためではないか、前からそんな気がしていたのだ。そして還暦になった私はまさに「暇」と「退屈」の時を迎えている。
読んでみると、これがわかりやすい。パスカル、スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーたちの本を縦横に引用しながら、歴代の哲学者たちが「暇」と「退屈」をどう考えてきたかが分析されている。そしてそれは現代社会の分析につながるし、一応の「答え」のようなものまで用意されている。
たぶん國分功一郎氏はかつての浅田彰氏のような存在ではないか。難しい哲学書をすべて読破したうえで、自分のテーマに沿って巧みにわかりやすく論じる術を知っている。これなら大学生にもラクに読めるだろう。もちろん実際にハイデッガーなどを読むとそう簡単ではないはずだが。まず序章の「「好きなこと」とは何か」の終りにこう書かれている。
「資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人は裕福になった。そして暇を得た。だが暇を得た人々はその暇をどう使ってよいのか分からない」「そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既存の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまではむしろ労働者の暇が搾取されている」
続きは後日。
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