「品がいい」とは:その(3)
私がいつも思うのは、人前でスマホをいじるのは「品がない」ということ。電車に乗ったら、スマホを触らずに本を取り出して読むのは今や「優雅」の域ではないだろうか。
私が会社員になった1980年代後半、電車で『ジャンプ』などの漫画週刊誌を読む若いサラリーマンを見て、中年のおじさんたちが嘆いていたのを思い出す。今や電車でスマホを見るのは、いわゆる老人以外は若者も中年も男も女もみんな同じ。たまに画面が見えるが、男はゲームが一番多く、女はインスタグラムやツイッターなどのSNSか。漫画はもはや紙の雑誌はほとんどおらず、男女を問わずスマホで見ている。
先日書いた『學鐙』2023年春号の「品がいい、品が悪い」では、大半の筆者は私より1回り以上年上の大家だが、私より少しだけ上の書評家の岡崎武志氏だけが出だしからスマホについて書いている。
「本特集のテーマは、おそらくスマホ全盛という社会状況を背景にしての出題かと思われる。誰もかもが人目をはばかることなく。我執の鬼となって手帳サイズの電子機器と向かい合っている。そこに「上品」とか「下品」などという判断基準が入り込む隙はない。たまに、姿勢としては同じだが、社内で読書をしている人を見かけると「上品」に見えるのは、読書人間側の欲目だろうか」
たぶんこんな反応は私の世代でもほんの一部かもしれない。私はほんのちょっと昼食に出る時さえも、外に出る時には必ず本を持たないと落ち着かない。すぐに出てくるラーメン屋にも持って行く。これはこれでスマホ族とは別種の病気かもしれない。ただし読書はあくまで他人の文章に身をゆだねる点が「我執の鬼」のスマホとは違うかも。
その特集でほかにおもしろかったのは、建築家の隈研吾氏の文章。「自分が設計のしごとに携わっていながら、こんなことをいうのも妙なものだが、建築というのは、基本的に、品が悪いものである。なぜなら建築を建てる人は大なり小なり、ニューリッチ、いわゆる成金だからである。もともと豊かな人は、新しく建築など建てる必要はない。最近金持ちになったから、何かを建てたいのである」
確かに自分の建てた家を自慢するのは成金の感じだ。ところが建築家はおおむね品がいい。会って話をしたことのある建築家だと、槙文彦、磯崎新、谷口吉生の各氏。磯崎さんは超お洒落で吉田喜重タイプなのかもしれないが、人当たりも柔らかかった。槙さんと谷口さんの家柄の良さを感じさせる感じは蓮實重彦さんに近いかもしれない。すべてに節度があって、優しい。
安藤忠雄さんとは仕事をしたこともあるが、「品がいい」とは言いがたい。これについてはいつか書く。
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