今年は父が死んだ年になる:その(2)
昭和が終わった翌年に亡くなった父親は、携帯電話も使わずにすんだ。もちろんパソコンなども影も形もなかった。通った大学に巨大なものはあったが、私には意味がわからなかった。父の死の少し前から働き始めて30余年、私の世代はあらゆる技術革新を(かろうじて)乗り越えてきたと言えるのではないか。
1984年に1年間の留学のための書類を打つために、オリヴェッティのタイプライターを買った。確か100文字ほどは記憶するので訂正が楽だった。ところが翌年帰国したら、日本語も入力できる「ワープロ」が発売されていた。それから2、3年でワープロは会社員に買える値段になった。
富士通「オアシス」、東芝「ルポ」、シャープ「書院」、NEC「文豪」などからみんな一台は買ったが、次第に会社での貸与も始まった。働き始めた時にもっと驚いたのはファックスだった。手書きでも書いたものを瞬時に送ることができた。海外でもそうだったからこれはびっくり。
仕事だと海外との連絡がラクになった。電話だと時差があるが、ファックスはワープロで打って印字して送って帰宅すれば、翌朝には返事が来ていた。便利なので次第に家庭用も販売された。1990年頃には留守番電話とファクスが付いたものが標準になったと思う。これはずいぶんと場所を取ったが、不在の際の連絡などに重宝した。
その頃には携帯電話も少しずつ普及した。最初は片腕くらい大きかったが、次第に小さくなった。1993年に新聞社に転職してすぐに1つ持たされた。マグリット展やポンピドゥーセンター展を担当することになり、フランス語の電話はそれで受けるように言われた。携帯電話を自分で買ったのは1995年頃か。
同じ頃、ワープロからパソコンに移行した。私は1995年にマックのパソコンを自分で買ったが、トイレの便器のように大きかった。英文のフォントの種類が多いのが嬉しかった。ただ、2000年頃まではワープロと併用していたのではないか。
2001年9月に「朝日」の石飛徳樹記者と「イタリア年」取材でローマにいた時、9.11が起きた。電話回線でインターネットからニュースサイトを必死で見ていたのを思い出す。まだパソコン専用LANもWIFIもなかった。ホテルがひどかったので2泊目から別のホテルにしたが、まだネット予約などはなく、必死でガイドをめくって電話をした。
その頃には電子メールもあったが、最初は個人で契約していた。2005年頃に社内でメールアドレスが配布されてLANケーブルが設置されたが、それまではずっと電話回線だった。スマホが登場したのは2008年頃だが、持っていたのはわずかだった。
2009年に大学に移った時もスマホは持っていなかった。2011年の3.11の少し前に買ったと思う。当時は教員や学生で持っているのは半分だった。それからあっという間に広がった。
今やファックスなどはめったに見ない。とにかく父がなくなった平成の始めの頃から、デジタル技術に追われまくりの40年だった。
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