今年は父が死んだ年になる:その(4)
父親が私に与えた大きな影響は、2つあると思う。それは彼なりの「教育」だったのではないか。1つは小学校3年生の時に急に剣道を習わせたことで、これはたぶん自分が経営していた会社が倒産して、「息子は強くならないといけない」と思ったからだと思う。本人もそう話していた。
もう1つは中学3年生の夏休みに、急に塾に通わせると同時に個人レッスンの先生をつけたこと。それは隣町の教育長とどこかで知り合いになって、彼の勧めにすべて従ったはず。その教育長は、公立高校に行ってもパッとしないので、勉強させて私立の進学校に入れた方がいいと父をたきつけた。ちょうど3年生の剣道の試合がすべて終わった時だった。
まず、土、日は電車で30分ほどの久留米市にあった「全教研」という塾(調べたら今もある)に通うことになった。確か日曜の午前中が毎週試験で、午後には出た問題を解説していたように思う。とにかくそこで知っている生徒はゼロで孤独だったので、通うのは相当につらかった。それまで土日は剣道の試合で楽しかったとのは大違いだった。
さらに同じ教育長の紹介で、平日夕方に電車で15分ほどの柳川市に住む高校の英語と数学の2人の先生に個人レッスンを受けることとなった。それぞれの家は駅から離れていたので父は中古自転車を仕入れて、それで駅から通うようにと指示した。私は言われるがままに従った。先生方は極めて優秀で、私の実力に合わせて教えてくれた。
土日の塾と平日週2日の個人レッスンを受けるうちに、塾での試験の結果はどんどん上がった。それまで家で勉強というものをほとんどしたことがなく剣道ばかりしていたから、当然かもしれない。そして目標としていた私立の進学校に通った。父は大喜びだった。たぶん、あんなに喜んだ父の顔を見たことがない。
それがよかったのかはわからない。進学校での成績は中の上くらいだったが、あまり楽しい高校生活ではなかった。生徒も先生も有名大学に通ることだけを目的にしていたから、おもしろくないに決まっている。高校生2年生の時に肝炎になって入院してしまい、2年生の後半と3年生のほとんどを休学した。
それもあって、福岡の大学に行くことになった。普通ならば公立校から東京のどこかの大学に行っていただろう。それが私立の進学校から長期入院、そして地方の大学へという展開は予想もしなかった。その結果だと思うが、文学青年の映画マニアになってフランスに留学した。これが現在の自分につながっているような気がするから、人生何が起こるかわからない。
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