川喜多和子さんの展覧会を見て
鎌倉市川喜多映画記念館に6月25日まで開催の「BOWシリーズの全貌ー没後30年 川喜多和子が愛した映画」展をようやく見に行った。あの展示空間はかなり小さいので鎌倉の遠さを考えると躊躇するが、何といっても和子さんの展覧会なので行くことにした。
実は川喜多和子さんとはあまり面識がなかった。戦前からヨーロッパ映画の名作を輸入した川喜多長政とかし子の娘であり、1970年頃から夫の柴田駿とフランス映画社を設立して海外のアート系映画を次々と輸入、公開したパイオニアである。
最初に会ったのは1985年のカンヌ国際映画祭。コンペのオーストラリア映画『ブリス』がつまらなかったので1時間ほどで出たら、ロビーのソファで彼女が座って煙草を吸っていた。私は誰かわからなかったが日本人だと思ったので「つまらなかったですよね」と話しかけた。すると「つまらないなんてもんじゃないわよ。昔はこんな映画はどんどん途中で出たもんだけど、最近はみんな最後まで見るのよね」と言った。
大きめの眼鏡にパーマをかけた彼女の顔は覚えていて、1980年代後半に初めてフランス映画社の試写に行ってすぐに「あの人だ」と思った。働き始めた私がフランス映画社から試写状をもらう訳がない。勤務先の国際交流基金には海外に日本映画を紹介する部があり、確かその部長がロンドン事務所に赴任するので試写状をもらった。
今の「シネスイッチ銀座」の場所にあった東和第二試写室に出かけた私は、入口にいた和子さんに試写状と名刺を添えて出し、「彼はロンドンに行くので私が代わりに来ました。今後もし私宛に試写状をもらえたらありがたいのですが」と言った。すると「あら、映画好きなのね、ではリストに入れとくわね」と言われた。
その頃の試写室には淀川長治さんや小森和子さんがいて、座る席が決まっていた。だから本当に緊張していたのを思い出す。それから試写状が来るようになった。フランス映画社と言えばBOW(Best films Of the World)シリーズだが、大学生の時に好きだった外国映画の多くがそのシリーズだったことは後から知った。
ベルナルド・ベルトルッチの『暗殺のオペラ』や『1900年』、タヴィアーニ兄弟の『父/パードレ・パドローネ』や『サン★ロレンツォの夜』、テオ・アンゲロプロスの『アレクサンダー大王』、アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』、ジャン=リュック・ゴダールの『パッション』などみんなそうだったのを、今回の鎌倉の展覧会を見ながら改めて思った。
たぶん一度パーティか何かの席で話す機会があった。私はパリやローマに出張した時に見た日本未公開のイタリア映画やフランス映画の題名を数本挙げて「公開してください」と言った。すると「それ全部見たけど、今の日本では無理ね。素人のあなたにはわからないだろうけど」と言われた。
展覧会を見ながら、そんなことを思い出した。彼女は1993年に亡くなったが、この頃からフランス映画社の影響を受けてアート系映画を輸入する若い会社が続々とできた。だから彼女は、まさに独り勝ちの時代のフランス映画社黄金時代を生きたことになる。それにしても53歳とは早い。
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