今年は父が死んだ年になる:その(3)
父は私が将来何をすることを望んでいたのだろうか。これは一度も聞いたことがないが、中学か高校の先生なのではないかと思ったことがある。剣道ばかりさせたのは、体育の教師にしようと思ったのではないか。
大学の文学部にいた時に父に「中学や高校の英語の先生にはなれるやろ」と聞かれた。「教職の単位を取ればなれるけど、面倒だから取らん」と答えると「よく考えてから決めろ」と言った。当時はフランス語の大学の教師になるか、映画か出版の会社に勤めることを考えていたから、中高の先生はかなり違った。
父が生きていたら結果的に大学教授になったのは喜んだに違いないが、さてそれでよかったのかはわからない。私の場合は仕事はいつも偶然と運で決まっていった。そんなことを考えたのはGW中の「朝日」1面の鷲田清一氏のコラム「折々のことば」が気になって切り取っていたから。
「悔いがなければそれでいいって言えるのかしらねえ……。何だかなァって思いますよ」長野ハル
この言葉が最初にあってこう続く。「「悔いのない人生にしたい」と人は言うが、大半は「夢の不発弾」を抱えたまま人生を終える。脚本家・内館牧子が取材したボクシングジムのベテラン・マネージャーは、素質があるのはほんの一握り、なのに我慢比べになって憔悴し、姿を消すという」
イメージとしては、会社員をやっていて急にボクシングジムに通い始めておもしろくなり、会社を辞めて専念してプロを夢見る、というところか。体育やスポーツが小さい頃からダメな私はこれはわからないが、会社員で小説家になろうと決心して退社して専念する、というのなら少しわかる。
さて自分にはそんな「夢」があったのか。何になりたい、というのは小学生の時からなかった。前にここに書いた気がするが、小学6年生で「将来の夢」という作文に何を書いていいかわからず姉に聞いて「商社マン」と書いたくらいだから。
大学生になって「地方の大学でフランス語を教えながらたまに地元の新聞に映画評を書く」姿はいいなと思っていたが、これは夢というよりかなりの現実路線。ところが最終的に大学院はフランス文学ではなく映画にしたので、その道は自分で閉ざした。それからは何となく「よりましな仕事」を求めて、3つの組織を渡り歩いた。今に至るまで月給取りで、一度も飛んだことがない。
さて「悔いのない人生」かどうか。内館牧子の文章は『夢を叶える夢を見た』という本にあるとのことで、とりあえず読んでみよう。
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