『aftersun/アフターサン』の描く夏休み
シャーロット・ウェルズ監督の『aftersun/アフターサン』を劇場で見た。夕刊各紙に映画評が出ていたし、友人からよかったとメールが来たから。結果としては、かなりの秀作だったがだったが私にはそれほど響かなかったというところか。
映画は11歳の少女ソフィーが普段は離れて暮らす父親とトルコで過ごす夏休みを描く。1990年代だろうか。ポイントはソフィーが撮るビデオ映像が挿み込まれるところだろう。そこには20年後にそのビデオを見るソフィーの姿がどこかにある。
父親はあまりお金もなさそうで、ホテルもそれほど高級ではない。それでもソフィーは満足で父親と玉突きをしたり、夕食をしたり、ツアーにでかけたり、パーティに参加したり。終わりの頃のパーティで父親は帰るのにソフィーは残ろうとする。ずいぶん遅く帰ると、父はドアにロックをして寝ていた。
そんなたわいない日々が、静かに流れてゆく。テレビの画面で撮ったビデオ映像を見ることもあるし、室内の鏡や窓ガラスに彼らが写ることもある。なんとなく過ぎ行く時間を感じさせるような映像が続き、小さな音が耳に残る。一瞬の光のゆらめきが人生の一コマになる。
後半、父の姿がだんだんか弱く見えてくる。後ろ姿や1人で寝ている様子がもの悲しく、見ていて不安になってくる。さてこの父親はそれからどうなったのかと思わず心配になってしまう。特に終盤の成人した娘の姿を見てそう思った。
非凡な映像と構成の巧みさを感じながらも個人的にあまり響かなかったのは、たぶん私には仲の良すぎる父と娘の関係がピンと来なかったからかもしれない。父にも母にもそんな感情を抱いたことはもちろんなく娘もいないので、映画の2人の強い思いは私からはすり抜けていった感じか。
これが初長編の女性監督というから、次回作に期待しよう。
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