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2023年7月 1日 (土)

『遺灰は語る』を劇場で見る

パオロ・タヴィアーニ監督『遺灰は語る』をようやく劇場で見た。試写会場と違ってスクリーンが大きいので、だいぶ見え方が違うし、音がはっきり聞こえる。素直に音と映像を追いながら、あちこちで涙が出そうになった。

何カ所か、ぐっと来た。まず、冒頭のノーベル賞受賞のニュース映像の後にクレジットが出てから「私は死んだのか?」というピラデッロの声が聞こえるシーン。もちろん彼の声ではなくて名優ロベルト・エルリツカによるものだが、そのしゃがれた声が実にいい。それから大きな真っ白の部屋の手前にベッドがあり、子供たちが入ってくるが、その思い切りシュールな感じはまるでキューブリックの『2001年宇宙の旅』のようだと思った。

いろいろあったが、遺灰を乗せた列車は朝方シチリアに着く。するとピアニストが何やら曲を弾き出す。その音でみんな起きて窓を開ける。遺灰を運んでいたアグリジェントの特使はようやく安心して目に少し涙を浮かべながら帽子をかぶり、曲に合わせて口ずさむ。「この世界は回り続ける/どこまでも/決して/とめることはできない」

その直後に見える列車のショットは、アントニオーニの『情事』から。さらにオムニバス映画『難しい愛』(1962年、未)で少年2人が海岸を走るショットがつながる。その間、ピアノと特使の歌と列車の音が続く。前半のクライマックスだ。

まんなかあたりでは、アグリジェントでの葬式の行進でベランダから多くの人々が見送る場面。I TUOI ATTORI(=あなたの役者一同)という垂れ幕を出して、舞台衣装を着こみ、王冠をかぶって見送る人々の姿が胸を打った。

それからまたいろいろあって、戦後15年たって墓ができる。その時に鉄の箱に入りきれない灰を係の男は新聞に包み、海辺に歩いて行って青い海に撒く。もちろん『カオス・シチリア物語』のラストにつながるが、ここが急にカラーになって盛り上がる。

後半30分の『釘』はカラーでニューヨークの話だが、少年は犯罪を犯した後に6年前にシチリアを離れた時を思い出す。白黒のシーンだが、男が突然息子も連れてゆくと言い出して、息子と残るつもりだった妻が激怒する。これは『カオス・シチリア物語』の一場面で、白黒にしてわざと画像を荒らしている。

自分の40年近く前の映画を「引用」する監督はほかにいるだろうか。しかしこうやって見ると何の違和感もないどころか、実にピッタリのシーンだ。たぶん自信があった一場面なのかもしれない。その時の妻の顔は白黒写真としてニューヨークのレストランに飾られている。

そして最後に殺した少女の墓を訪れる青年、中年、老年の姿が写る場面に涙する。これは冒頭でピランデッロの娘たちが急に老いる姿と呼応する。そこにピランデッロ=エルリツカの人生の台本が終わったという声。この映画は私にとって、今年の外国映画ナンバーワンだ。

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