今年は父が死んだ年になる:その(6)
高校2年生の時、夏休みのラグビー部合宿中に体調を壊し、実家近くの病院に行くとB型肝炎と診断されてそのまま入院となった。より大きな病院で検査する必要があると言われたが、私は久留米大学病院に行くことを主張した。そこの付属高校に通っていたので、治療費がタダだったからだ。
父親は「大学病院がいいのかどうかわからん」と言っていたが、紹介状を持って父親が運転する車でその大学病院に行った。比較的若い先生が現れたが、父親は帰り際に私に廊下で出て待つように指示した。後で父親は私に「30万円渡した」と静かに言った。
せっかく治療費がかからない病院を選んだのにもったいないと思ったが、「世の中はそんなものか」とも考えた。大学病院で検査を中心に1週間ほど過ごした後、ほかの病院に移るように言われた。私の地元に近い大牟田市立病院か、高校に近い国立病院のどちらかを示されて、私は高校の友人が来てくれることを考えて国立病院を選んだ。
それが2年生の秋で、それから3年生の春頃まではそこにいたのではないか。父は国立病院に移る時に車で来ただけで、その後は1度も来なかった。毎週日曜日に母は洗濯ものを持って来てくれた。症状がよくなって4、5月は高校に行ったが、時々気分が悪い日があったので、再び入院することになり、今度は大牟田市立病院に移った。
私は覚悟を決めて、ベッドの上で受験勉強をすることにした。国語は本を読むことで十分だった。古文は『万葉集』や『徒然草』などを岩波書店の「古典文学大系」で揃えて読んだ。日本史は岩波新書で歴史に関する本を可能な限り読んだ。英語はNHKのラジオ講座を聞いたり、サマセット・モームなどの原文を翻訳と比べながら読んだ。
その年は「共通一次試験」の2年目だったが、数学や理科(生物を選んだ)はたぶん全く準備しなかったように思う。大学はすべて文学部を受けたのは、1年半も本ばかり読んでいたからに違いない。漱石全集、芥川全集、鴎外選集、魯迅選集などのほか、加藤周一や森有正、林達夫などの著作集も買った。
今考えると、月に何万円もの本代を両親は何も言わずにすべて出してくれたことに驚く。その結果、完全に文学青年になって文学部を受けたのだから、すべてが今につながっている。もともと小さい頃から本好きだったが、剣道を始めてから少し道が逸れた。
病気の心配があったので、福岡の大学に行くことにして1年休学した。6月くらいまで入院してそれからは翌年の3月まで自宅療養を続けた。読書量はさらに増え、フランス語もラジオ講座で始めた。父親と半年以上一緒に暮らしたはずだが、何かを話した記憶がないのはどういうことだろうか。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 飛行機のトラブル(2026.09.07)
- 美術と映画をめぐって(2026.08.26)
- 本を売る(2026.08.20)
- 人生の僥倖(2026.08.09)
- いつの間にかイタリア映画の専門家に(2026.08.07)


コメント