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2023年6月 6日 (火)

ジャック・ロジエが亡くなった

今朝の「朝日」に出ていたが(私が知らせた)、『アデュー・フィリピーヌ』(1962)で知られるフランスのヌーヴェルヴァーグの監督、ジャック・ロジエがこの2日に96歳で亡くなった。私はこの監督は遠くから2度見たことがあるだけだが、勝手に恩を感じている。

というのが、私が最初に活字になった原稿は「蓮實重彦責任編集」の季刊『リュミエール』1987年春号の投稿欄「リュミエールは開かれる」に書いたこの監督の新作『メーヌ・オセアン』論だったから。これはフランスで1986年に封切られたが、日本での劇場公開は2010年だった。

私は1986年夏にはパリにいた。4月に入った早稲田の大学院を続けるか悩み、7月にパリで国立映画学校の試験を受けに行った。結果として二次試験で落ちたので9月末に帰ってきたが、そのパリ滞在中に見たのが『メーヌ・オセアン』。1度見て感動し、2度目はウォークマンを持参して、音声を録音した(違法!)。

『リュミエール』への原稿はその録音を聞きながら書いた。12月頃に当時住んでいた武蔵関のボロアパートで黒電話が鳴り、「筑摩書房の間宮と申しますが、いただいた原稿を載せたいと蓮實さんが言われています」と聞いた時は、本当に腰が抜けそうなくらい興奮した。2月頃にゲラ直しを持って当時は神田小川町にあった筑摩書房に行ったことを妙に憶えている。

ちょうどその『リュミエール』が出た頃に就職し、蓮實さんとはそれから1年後くらいにパーティで見かけたので「『メーヌ・オセアン』論を書いた古賀です」と自分から名乗り出るきっかけとなった。それから何年かたって「レンフィルム祭」から一緒に仕事をするようになった。

最初にロジエ監督を見たのは2001年のヴェネツィア国際映画祭。今の「オリゾンティ」にあたる「現代の映画」部門にロジエ監督の新作『フィフィ・マルタンガル』が出ていたので、私はそれを見るために飛行機の変更料金を払った。映画は実はよくわからなかったが、記者会見はもっと謎だった。

その年のヴェネツィアはまさに「現代の映画」部門の審査委員長が蓮實さんだったし、「日本におけるイタリア年」の取材で「朝日」からは石飛徳樹記者が来ていた。彼とはそこで初めて会って以来、長い付き合いとなった。

2度目に見たのは2016年のシネマテーク・フランセーズで、俳優、ピエール・リシャールの特集で彼が主演のロジエの『トルチュ島の遭難者たち』(1974)が上映された。上映後、リシャールと共に舞台にたったのがロジエ監督で、私は思わずスマホで録画した。終了後、監督に駆けよったのがアニエス・ヴァルダ監督だったが、彼女ももう亡くなっている。

ロジエについて検索していたら、何と来月末から『フィフィ・マルタンガル』と『トルチュ島の遭難者たち』の日本未公開2本と『メーヌ・オセアン』、『アデュー・フィリピーヌ』の4本と短編を合わせた映画祭が開催されるという。何というタイミングだろうか。この夏の楽しみができた。

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