内館牧子『夢を叶える夢を見た』について:続き
私がこの本で一番驚いたのは、内館牧子本人が自分の「運」について語るくだりだ。「「運」は否定できないし、わたし自身、脚本家になることができたのは「運」が大きい。特にスタート直後に、まるで芋づるのように幸運がつながった。「運も実力のうち」と言われるが、それは違うと私は思っている」
TBSのプロデューサーから連絡があった時、「私はフリーライターとして、日本放送協会出版の雑誌にインタビュー記事を書く仕事が中心であり、脚本は日本テレビで単発を二本書いたものの、その後は鳴かず飛ばずだった」。
先方はベテランの今野勉との共同脚本を書く女性を探していた。「話すにつれ、「面接に落ちたな」と確信していた。私はすでに41歳になっていたし、脚本家のキャリアはない」。短い面接の後に相手がお茶の伝票を手にした時、「挨拶程度に何気なく訊いた。/「ヒロインはどなたがなさるんですか」
「私の脚本家人生は、すべてこの一言から始まった」。出た名前は取材を通じて仲良くなり、一緒に食事にも出かけてていた女優だった。「私、彼女のことはよく知っています」。それを聞いた相手は「座り直し、その場で断を下した。/「あなたに書いていただきます。無名のヒロインをよく知っているというのは強い」
「これをきっかけに(プロデューサーの)遠藤とのコンビが始まり、『想い出にかわるまで』『クリスマス・イヴ』『あしたがあるから』と続けさまにTBSのゴールデンタイムを書くことになった。その後、本当に嵐のように民放各局の単発や連続ドラマのオファーを受け、42歳の後半にはNHK朝の連続テレビ小説の打診が来ていた。それが『ひらり』である」
また、内館はオリンピックに出る日本の選手が「楽しんできます」というのが「個人的にこのコメントは大嫌いである」と書く。これはなぜか私も同感だ。「「楽しむ」などと言うことは個人的なことであり、公の場で口にすべきではない」「マニュアルのように「楽しんできます」と言う野暮に、そろそろ気づいてもいい」
内館は神奈川新聞社で9年間の総務部勤務から脚本の賞を取ることで文化部記者になった服部を取材しながら、「恨」(ハン)という言葉を思い浮かべる。これはもちろん「韓国民衆の被抑圧の歴史が培った苦難・孤立・絶望の集合的感情。同時に、課せられた不当な仕打ち、不正義への奥深い正当な怒りの感情」(『広辞苑』)
「これを会社や社会への『恨み』とするのは短絡的にすぎる。むろん自分を正当に評価してくれない会社に対し、恨みつらみもある。だが、それは表層のことだ。そうではなく、人生の不条理への奥深い、正当な怒りの感情と言った方がいい」
これは20年以上会社員をやった私にはよくわかる気がする。私も長い間、「恨」を生きてきた。今もあるかもしれない。
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