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2023年6月11日 (日)

今年は父が死んだ年になる:その(5)

小学校3年生の時に、放課後に剣道を習い始めた。父の会社が倒産したのが前年で、1年たって新しいビジネスが回り始めた頃、父は息子が弱々しく頼りないのに気がついたのかもしれない。いきなりある夜に、近所で剣道の道場をやっているおじさんの家に連れて行かれた。

そこで1つ下の従弟と一緒に初歩から習うことになった。従弟と私は剣道着と道具を買ってもらい、月曜から土曜まで夕方6時から公民館に通った。すると次第に近所の男の子もやってきて、1年もたつと10人くらいに増えたと思う。小学校6年生頃には30人くらいになり、教える先生も3、4人になった。

5年生頃からは暇があると竹刀の「素振り」をやった。手足を揃えて動かして「メン」と声を出して振りかざす。これを100回とか500回とか。これで本当に強くなるのか今思うと疑問だが、少なくとも手足の動かし方は形ができてくる。

剣道をやってよかったのは、明るくみんなと遊ぶようになったこと。毎日1時間、大声をあげて竹刀を振り回して、時にはみんなと晩ご飯を食べた。土日に隣町に練習に行くこともあった。6年生の時に町で6人が選ばれて東京の全国大会に行くことになった。町内で選抜試合があって、私は5番目でようやく選ばれた。

小学生までは放課後の活動だったが、中学生には「剣道部」というものがあった。当然のごとく入り、毎日剣道ばかりした。剣道をやる男の子は、体の大きないわゆるいじめっ子タイプが多かった。剣道をやったおかげでそういう連中と仲良くなったのもよかった。そうでなければ、1人で本ばかり読む気の弱い少年だったから。

2年生の半ばで「主将」に選ばれた。剣道では私より強い同級生は少なくとも3人はいたが、全体をまとめるには私がいいというのが担当の先生の意見だった。それから土日には毎日のように試合に行った。私は弱い相手だと「トリック」を使って勝つことを覚えた。相手を左側に引き寄せて体をかわして右から打つようなたぐいだが、中学生レベルだとかなりうまく行った。

試合の多くは5人の団体戦だが、福岡市の「玉龍杯」というのは勝ったらそのまま残って次の相手と戦う「勝ち抜き戦」だった。私は弱いチーム相手に短時間で「五人抜き」を2回やって賞状をもらったのを覚えている。

全国大会をめざしたが、県予選で負けてしまった。父親は大事な試合には必ずやってきた。予選で負けた時にひどく怒っていたのをよく覚えている。もし県の代表にでもなっていたら、父親は絶対にスポーツ特待生枠でどこかの高校に押し込んだに違いないと、今になって思う。

すべての試合が終わったのが7月頃で、父親はこの子は剣道では食えないとわかったのか、突如として塾や個人レッスンに送り込んだのは前に書いた通り。

 

 

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