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2023年6月30日 (金)

貴田庄『小津安二郎と七人の監督』を読む

文庫で貴田庄『小津安二郎と七人の監督』という本を見つけたので買った。小津安二郎監督のことを考えると、彼の同世代の監督のことが気になる。例えば同じ年の清水宏とは終生、仲が良かったとか、2歳下の成瀬巳喜男は「小津は2人いらない」と松竹蒲田を追い出されたとか、そんなエピソードをまとめて読んでみたいと思った。

結果は思ったほど7人の監督との関係や比較はあまり書いていなくて、それぞれの監督について述べたものが多かったけれど、知らなかったことも多く、十分楽しんだ。もともとは『小津安二郎と映画術』という題で2001年に出た本が、今回この題名で文庫になったらしい。気になった言葉を引用しながら述べてゆく。

「衣笠、黒澤、溝口、そして木下と日本映画を代表する監督たちをみてくれば、監督になるためにもっとも幸運な人物は小津安二郎であったように思われる」「さしたる回り道をせず若くして映画の道にはいり、撮影助手をへて助監督となり、さらに二十四歳の若さで監督となっている」

一回り近く若い黒澤や木下は、確かに遠回りをしているし、映画界に入った時はもう先輩たちがたくさんいたので、小津や成瀬のように20代では監督になれなかった。よってサイレント映画を経験することもなかった。

五所平之助は小津と同世代だが、2人ともエルンスト・ルビッチの『結婚哲学』が好きで、五所は小津以上に虜になったらしい。五所でおもしろいのは、日本最初のトーキー『マダムと女房』ですべて同時録音の中でどうやってカット割りを実現するかについて書かれた部分。何と4台のカメラを使って切り替えをやったとの証言を引用している。

またこの映画のロケは田園調布で、冒頭の画家と劇作家の喧嘩と最後の劇作家夫婦が子供を連れて帰ってくるシーンの2つだけだと書いている。風呂屋の前のシーンはセットとは。ロケ地はなんとなく昔の世田谷の光景を思わせるが、田園調布とは知らなかった。さらに撮影風景の写真があり、演技に合わせて演奏をした宮田ハーモニカ・バンドの面々もカメラ2台と共に写っている。

清水宏は小津と仲がよかったが、小津が築地のがんセンターで手術を受けて入院していた時、清水はたまたま目と鼻の先の銀座東急ホテルにいた。そこで清水は病室にいたカメラマンの厚田雄春に電話をして「本当は行きたいんだ、わかるか」「でもつらくって行けないんだ」と言ったという。厚田へのインタビューに出てくるこの話には、涙が出そうになった。

1949年の毎日映画コンクールでは、監督賞に『蜂の巣の子供たち』の清水宏を小津と五所が推すが、結局木下恵介が取る。その経緯を貴田は「ほとんど生理的に清水を好きだといっているように思われる。と同時に、映画を撮ることの難しさを知悉している人の評価のように感じてしまう」。この年、木下は『女』『肖像』『破戒』と絶好調だったが、映画会社に属さず清水は全く新しいで映画を作っていた。

小津と清水は同じ年の生まれで松竹蒲田で競うように映画を撮ったが、戦後、小津は松竹の巨匠となり、清水はフリーで苦労しながら各社を転々として低予算の映画を撮った。しかし、友情は一生続く。

 

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