『遺灰は語る』に出てくる映画のこと
先週前に公開されたパオロ・タヴィアーニ監督『遺灰は語る』は試写以降まだ劇場で見ていないけれど(近いうちに行く)、そこで出てくる映画について書いておきたい。普通の劇映画で、こんなにほかの映画が使われることはこれまでにあっただろうか。
マーチン・スコセッシの『私のイタリア映画旅行』(1999)のように、スコセッシが自分にとってのイタリア映画の魅力を語ったドキュメンタリーならば、当然ながらイタリア映画の名作がたくさん出てくる。ところが今回の『遺灰は語る』は1時間半の劇映画だ。
それなのに、映画の終りのクレジットに出てくるだけで、8本の映画が出てくる。実はさらにもう1本ある。そのうち1本は自分の監督作品だから、思わず笑ってしまう。9本のうち日本公開が4本、DVDのみ販売が1本。
この映画は冒頭に脚本家ピランデッロのノーベル賞授賞式が出てくる。これはイタリアのルーチェ研究所によるニュース映像だが、その後出てくるキメの荒い映像はニュースではなく劇映画を使っている。一番使われているのが、1943年から10年ほどを描いた部分。ニュース映像を使わなかった理由を劇場パンフ掲載のインタビューでこう語っている。
「私に言わせればそうした記録映像よりも、戦後のイタリア映画の方が真実を伝えていると思う。ニュース映画は事実を無造作に提示するだけだが、戦後の映画を見れば時代のリアリティを深く理解できる。他にも入れたかった映画が山ほどあって、膨大なリストを作ったが、泣く泣く削らなくてはならなかった」
私が最初に見てすぐにわかったのは1本だけだった。ロベルト・ロッセリーニ監督『戦火のかなた』(1946)の第4話フィレンツェで、ファシストによるレジスタンスの闘士たちの銃殺のシーンだ。なぜわかったかと言えばこれは大学の授業で見せたことがあるから。大学で学生に見せる時は事前に見たうえで、さらに見せながら解説するからさすがにどのシーンも覚える。
ところが映画の終りのクレジットでミケランジェロ・アントニオーニ監督『情事』(1960)と出てきた時には驚いた。この映画も授業で扱った時に隅々まで見ているはずなのに。そもそもこの映画は「戦後は終わった」時代の話で、金持ちたちの空疎な恋愛を描いており、戦争は全く出て来ない。
そこで『情事』をもう一度見て、人物が出て来ない場面をしっかり見ていたら、モニカ・ヴィッティが女友達の恋人のガブリエル・フェルゼッティとシチリアの野原で抱き合うシーンの後ろに走る列車が、『遺灰は語る』に出てくることに気がついた。実はこの映画には走る列車を写した場面が2本、列車から見た海岸の場面が1本、列車の車体の落書きと列車を降りる兵士を写した場面が1本、計4本の列車を写した映画が「引用」されている。
確かにこの映画のローマからシチリアへの旅は実に印象深い。タヴィアーニはそこにリアリティを出すために、あえて1960年代までの映画の列車のシーンを4本も使ったのである。
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