『グランド・ホテル』に考える
映画には「グランド・ホテル形式」という言い方がある。一つの場所に集まった数名の人々のそれぞれの生き方に焦点を当てるタイプの映画で、例えばジョン・フォード監督の『駅馬車』(1939)はその1本と言えるだろう。
その元となったのが、エドマンド・グールディング監督のその名も『グランド・ホテル』(1932)である。私は大学の授業で「グランド・ホテル形式」と説明しているが、そのおおもとはたぶん30年以上前に1度見たきりで全く記憶にない。
今回授業で取り上げて学生と一緒に見た。1930年前後の都市の表象というテーマで、ベルリンをめぐる映画をいくつか見た。F・W・ムルナウ監督の『最後の人』(1924)ヴァルター・ルットマン監督の『伯林 大都会交響楽』(1927)、シオドマク&ウルマー監督の『日曜日の人々』など。
どれも大都会ベルリンの魅惑とそこに生きる人々の孤独を描くドイツ映画だが、その後に『グランド・ホテル』を取り上げたのは舞台がベルリンだから。というか、もともと原作はドイツ語で書かれたものでそれが英語になり、舞台になり、MGMの映画になった。
あのライオンが吠えるロゴで有名なMGMは、当時はスターをずらりと揃えるので知られており、この映画ではグレタ・ガルボ、バリモア兄弟、ジョーン・クロフォード、ウォーレス・ビアリーなどが出ている。それぞれが、ロシアから来た落ち目のバレリーナ、「男爵」と称する詐欺師と死ぬ間際に贅沢をする貧乏人、女優志望の美人タイピスト、ケチな社長を演じる。
この映画はアカデミー賞の最優秀作品賞を受賞しており、日本では「キネマ旬報ベスト・テン」では9位だが評論家の評価は高い。しかし私はこの110分にかなり退屈した。学生に聞いてみると、みんな同意見のようだ。
私が思ったのは「文芸映画」のようだ、というもの。有名な俳優がある役柄を演じて味わい深い台詞を吐くが、映画自体にドラマ性が感じられない。ロシアのバレリーナは神経質でみんなに迷惑をかけ通しで、「男爵」は女にもてる優しい男だが運を掴めない。ケチな社長は最後まで同じ。
というか、リアリティが弱い。工場で一生働いた男はどんなにお金を貯めても、自分の社長と同じ大ホテルでスイートルームに泊まるのは無理だろうし、「男爵」の詐欺師の行動はわかりにくく、殺されるのも唐突だ。
映画史はたかだか100年と少しなのでまだまだ書き換えられるだろう。かつての「名作」がそうでなくなる時も来る。そういえばこの映画で貧乏人と秘書はパリに行く。「パリでもグランド・ホテルに泊まる。世界中のどこでもグランド・ホテルがあるのさ」という台詞がある。日本の都市のあちこちにかつては一番高級なホテルとして「グランド・ホテル」があったが、それはこの映画の影響だろうか。
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