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2023年7月 7日 (金)

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』再見

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』(1972)を再見した。前に見たのはたぶん35年ほど前だから、全く覚えていない。というより、この監督はどこか苦手だった。

「ニュー・ジャーマン・シネマ」は80年代半ばからユーロスペースと東京ドイツ文化センターが日本に紹介していたが、一番カッコいいのは何といってもヴィム・ヴェンダースだった。明らかにフランスのヌーヴェルヴァーグを思わせる、映画好きが作った映画でハスミさんも絶賛していた。それに比べると、ファスビンダーもヴェルナー・ヘルツォークもメッセージ性が強かった。

今回デジタル修復版が上映されたのは、フランソワ・オゾン監督のリメイク『苦い涙』が公開されたからだろう。私はファスビンダーのオリジナル版で寝た記憶があるので、才気煥発のオゾン版を見た時は実に巧みによみがえらせたと思い、ここにも書いた。

今ではファスビンダーはヴェンダースなど遥かに超えた神話的存在になった感じだが、果たして本当のところはどうだろうかと思っていた。さて見始めると、最初は重苦しい室内劇でちょっと辛かった。ペトラの家に友人シドニーが連れてきた若い娘、カリン役のハンナ・シグラを見てもあまりぱっとしないと思った。

それが翌日に胸にカップを当てたようなドレスで現れてからは、少女のようで妖艶なその不思議な存在感に引き付けられた。ペトラも張り切って小さな胸に布を当てたような派手なドレスを着ているが、その痩せ具合がどこか痛々しい。最初から勝負があったようなこの2人のドラマが始まる。

ペトラはファッションデザイナーだから、部屋のあちこちに女性の裸体のマネキン人形がある。壁には大きなルネサンス絵画の複製。ペトラの秘書のマレーネは彼女の指示に応じてタイプを打ち、デッサンを仕上げ、カリンがやって来るとウォッカやシャンパンを出す。オゾン版の男性秘書はどこか滑稽だったが、こちらは見るのが辛いほど哀れだ。

カリンはペトラの家を出て、有名になる。ペトラは自分の誕生日の日にお洒落をしてカリンの電話を待つがかかってこない。家に来るのはシドニー、娘、母。娘は丸々として無垢そのもので、母は常識人だからこれも強烈。ペトラは「自分の金で買ったのだから何が悪いの」と靴のかかとでティーセットを壊す。

最後まで見ると、オゾン版が「軽い冗談」に思えるほど、ファスビンダー版は強烈だった。すべてが室内の映画だが美術のすべてがペトラの苦悩と呼応しており、部屋の中を動き回るカメラも力があった。

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