『文庫で読む100年の文学』のショック
読売新聞の連載「文庫×世界文学 名著60」は時々気になって読んでいたが、今回『文庫で読む100年の文学』として文庫になったのでまとめて読んでみた。そこでショックを受けたのが、自分が読んだことにある本があまりに少ないことだった。
「100年の文学」とは「現代」、つまり第一次世界大戦前後から現代までの100年間に絞り、文庫本になっている外国文学から60冊を選んでいる。さらに読売新聞文化部で40冊の日本文学を加えたものだ。
私は中学生の頃から「文学青年」だと思っていた。少なくとも働き始めるまでは、映画は好きだが基本は文学だと思ってきた。そして特に「現代文学」は気にかけていたつもりだった。もちろんそれから30年以上働いて、もはや文学はどこかに行ってしまったけれど。
今回載っている外国文学60冊で、読んだことのあるのは以下の通り。
J・M・クッツェー『恥辱』、ミシェル・ウェルベック『素粒子』、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ『戦争は女の顔をしていない』、魯迅『故郷/阿Q正伝』、サン=テグジュペリ『星の王子さま』、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、フランツ・カフカ『変身』、ジョージ・オーウェル『1984年』、ポール・オースター『幽霊たち』、トーマス・マン『魔の山』。
60冊のうち、10冊しか読んでいない。そのうち魯迅、サン・テグジュペリ、カフカ、ジョージ・オーウェル、トーマス・マンは大学生の時に読んだもので、それ以外は働きながら読んだ。大学に移って読んだのが『恥辱』と『戦争は女の顔をしていない』か。この2冊はこのブログに書いた気がする。
買ったのに読んでない本もある。つい最近亡くなったミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』は映画を見て原作も買ったが、読まないままになった。マルグリット・デュラスの『愛人 ラマン』も同じで映画だけ見た。ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』も全く同様。
映画と関係なく、買ったけど読まなかった本はほかにもある。J・D・サリンジャー『ライ麦畑で捕まえて』、アルベール・カミュ『ペスト』、アンドレ・ジッド『狭き門』、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』あたりがそうだが、今やどこに本があるのかもわからない。
さらに驚いたのは、それらを解説している英文学者や仏文学者などの名前をほとんど知らないこと。完全に代替わりが進んでいる。監修の3人さえも沼野充義、松永美穂の両氏は知っているが、英文学者の阿部公彦氏は知らなかった。
そして、全く知らない作家の名前が10人はいた。これについては後日書く。いずれにしても、これからの読書のいい指針ができた。
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