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2023年7月 8日 (土)

今年は父が死んだ年になる:その(8)

私の父親が経営する会社は1960年代末の三井三池炭鉱の縮小によって、倒産した。父親はその時、一週間ほど自宅に寝込んでいた。今考えたらまだ40歳過ぎで、さぞ無念だったことだろう。

私は小学2年生だった。もちろん倒産の意味も父の気持ちもわかりようがなく、能天気に遊び回っていた。その頃、ちょうどアポロ11号の月面着陸があった。私は夢中で生中継のテレビを見たが、見たのは自宅ではなく同級生の家だった。

たぶん、自宅にはいづらいような、騒いではいけないような空気が流れていたからだろうか。同級生のN君の家に3人で集まってテレビを見た。例の宇宙服を着た3人の飛行士が月を歩いている様子が何とかわかるガビガビの画像を見られただけで満足だった。

アームストロング船長など3人の飛行士は、一挙に誰でも知っている世界的なスターとなったのではないか。九州の片田舎の小学生が3人のフルネームを覚えたのだから。翌年は大阪の万国博覧会で、彼らが持ち帰った「月の石」が展示されることになった。

私は当然自分も大阪万博に行って「月の石」を見るものだと思っていた。ところがいつまでたっても大阪万博に行く話が家で出ないので、母に聞いてみた。すると「それどころじゃなかよ」と言われた。私は会社倒産の意味をようやく理解した。

小学校ではその年の初めから、「大阪万博に行きましょう」というキャンペーンがあった。たぶん文部省が通達を出していたのだろう。私は行けないのが悔しかったが、テレビや新聞で追いかけた。

夏休みが終わると、大阪万博に行った生徒は前に出て発表をした。たぶん2、3人だったと思うが、月面着陸を一緒に見たN君もその1人だった。彼のお父さんは福岡県庁に勤めていて、家は真新しくて広かった。その後彼の家に行って、「月の石」のプラスチック製レプリカを見た。

私が父にその話をすると、「万博は暇な人が行くもんばい。お父さんが県庁に勤めても偉くはなか。大学を出てやる気のない人が市役所とか県庁とかに勤めるばい」と笑って言った。私はそれを聞いて妙に嬉しかった。その言葉は今も残っていて、すぐに「それは暇な人が行くもんだ」と言ってしまう。

しかし、私自身は月給取りになった。それが父の反動かどうかはわからない。

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