今年は父が死んだ年になる:その(10)
私の好きなユニクロのTシャツに、白地に黒でMoney Creates Tasteと書かれたものがある。もちろんアメリカの女性美術作家、ジェニー・ホルツァーのネオンなどに書かれた言葉によるアート作品から来ているが、何とも皮肉な言葉だ。
カネがテイストを生む。つまり、金があれば趣味の良さは自然と身につくということだ。私の父は、およそテイストの良さというものを感じさせない人だった。服にも家にも食事にもこだわらなかった。口癖は「家は雨風をしのげればいい」だった。
彼は確実に商才というものがあった。会社を経営していた頃は三井三池炭鉱の重役を巧みに懐柔して仕事を増やし、会社倒産後は新しいビジネスを始めて数年のうちに軌道に乗せた。しかし、そのお金でおいしいものを食べようとか、いい服を買おうとは考えなかった。
その代わりに社長時代はゴルフ、独立後は狩猟や植木などの趣味に打ち込んだ。そうでなければ友人たちと酒を飲み、歌った。その姿はいわゆる「文化」とはほど遠かった。テレビはスポーツとニュースしか見ないし、本は読まない、映画にも行かない。碁も将棋もしない。子供たちをどこかのレストランに連れていったのは、社長時代のゴルフ旅行の時くらいだろう。
私が早稲田の大学院に入学した時、父親は久しぶりに東京に行きたいと言った。母に姪と甥が1人ずつの計4人やって来て、私は東京を案内した。浅草に行って有名なすき焼き屋に行こうとしたら、父親は「そんなところは落ち着かん」と言って、有無を言わさず間口の狭いラーメン屋に入っていったのをよく覚えている。
その時母親は「今までもそうやった。あの人とおいしかものを食べたことはなか」と私に言った。そんな無趣味な父親の息子は、新聞社で美術展を企画し、今は大学で映画の美学を教えている。何ということだ。もちろんそれは父親のカネがあったから、息子は自由に本を買って映画に行き、演劇や美術展を見て、フランスまで行ったからである。
だからMoney Creates Tasteは、我が家の場合ひと世代遅れた。さてこの言葉は1977年にホルツァーが作品に使ったが、フランスの社会学者ピエール・ブルデューは同じ頃『ディスタンクション』で、美術館などの文化を受容しているのは富裕層だという分析を発表して話題になった。私はこの本を読んで「当たり前じゃん」と思ったが、今考えるとホルツァーの言葉と同時代的な発想かもしれない。
私はその70年代後半から、文化的テイストを蓄積してきた。それから40年たって、そのホルツァーの言葉が書かれたユニクロのTシャツを着ていることも、また大いなる皮肉だろう。
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