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2023年8月 7日 (月)

ヌーヴェルヴァーグ再訪:その(1)

夏休みは、授業の準備のためにため込んだDVDを見る絶好の機会だ。秋や来年の授業を考えながら、今まで見ていなかった映画を見てメモを取る。最近エリック・ロメールのブルーレイBOXを買ったので初期作品を見たが、抜群におもしろかった。

『モンソーのパン屋の女の子』(1962)は「六つの教訓物語」は20分の短編だが、たぶん初めて見た。そして、本当に驚いた。そこに青春というか人生が凝縮されているような気がした。中身は大学生がパリの街頭をうろうろするだけだが、そこに絶えず「私」のナレーションが入る。

「私」はある時から自分の住む地区である若い女性が気になりだす。近所の画廊に勤めるエレガントなブロンドの美人だ。友人と彼女を追うがとても声はかけられない。ふとした時にぶつかって、会話をする。名前はシルヴィー。お茶に誘うが「また今度」と言われた。友人はバカンスでいなくなるが、シルヴィーの姿も見えなくなる。

彼女に何とか会おうと、会う可能性の高い夕方を散歩する口実として、近くのパン屋に行き、サブレを買うことにする。毎日サブレを買って歩きながら食べるうちに、パン屋の若い女性が気になりだす。相手もまんざらでもなさそうだ。こちらは褐色の髪でいかにも素朴そうなふくよかな感じ。

何とか話す機会を設けて、18歳という年やジャクリーヌという名前を聞きだす。ある日、とうとうカフェで待ち合わせをする。ちょうどその時間の少し前に、足を引きずるシルヴィーに会う。足を怪我して外出ができなかったのだ。

「私」はジャクリーヌとの約束を無視して、シルヴィーを食事に誘う。シルヴィーはパン屋の真上に住んでいて「あなたの行動をすべて上から見ていたわよ」と語る。それから「私」は半年後にシルヴィーと結婚したことを語る。彼らは結婚後その地区に住み、あのパン屋に行く。ジャクリーヌはもうそこにはいない。

最後に忽然と半年後の結婚が語られて、おしまい。約束の日、ジャクリーヌはすっぽかされて、怒ったに違いない。あるいは「私」が別の女と歩くのを見たかもしれない。もともと彼女はパン屋はすぐにやめてもうすぐ百貨店のギャラリー・ラファイエットで働くと言っていた。彼女は「大学生に騙された」思い出を持ちながら、別の人生を歩むだろう。

都合よく2人の女が現れて、自分に近そうな階層の女性を瞬時に選択する男の保守性と身勝手さ。「すべて上から見ていた」というシルヴィーの聡明さ。彼らは結婚して、典型的なインテリのパリジャンとして生きてゆくだろう。

わずか20分でそんなことをいろいろ考えた。そういえば舞台は8区と17区の境のヴィリエ駅周辺。パン屋は17区側にあって、その少し先に私の留学時代からの友人のセルジュ君が住んでいる。精神科医と結婚した女友達のパスカルさんは8区側に住んでいる。今も映画とほとんど変わらない庶民的な17区と金持ちの住む8区との境界というのも、この映画にふさわしい。

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