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2023年8月28日 (月)

「ワールド・クラスルーム」とは

六本木で映画の試写を見たついでに、森美術館で9月24日まで開催の「ワールド・クラスルーム 現代アートの国語・算数・理科・社会」を見た。一番驚いたのは、展示作品の多くがこの美術館の所蔵だったこと。ここは企画展会場しかないので、所蔵作品はないのだと思っていた。

これほど現代美術を持っているのならば、森ビルのどこか一角に常設展示室があってもいいのにとも思った。もう一つ驚いたのは、展示作品にアジアの作家のものがかなりあったこと。感じとしては日本、アジア、欧米が1/3ずつくらい。

見ている観客もそのくらいの割合で、中国や韓国やフィリピンやインドネシアやマレーシアなどの観光客が自国の現代美術を見てどう思うかと考えた。嬉しいと感じるのか、これは自分の国の代表ではないと考えるのか。外国で日本の現代美術を見る時の自分を思い出す。

さて展覧会そのものは、それほどインパクトは強くなかった。つまり館の所蔵作品や国内美術館所蔵品が大半なので、間に合わせというか、国語、算数、理科、社会に合うのはどれかなと考えて入れ込んだ感じ。例えば冒頭にアメリカのジョセフ・コス―スは、実物のシャベルとその写真と英語の辞書の説明が並ぶ。これが「国語」になるのか。

「社会」の冒頭には、ドイツのヨーゼフ・ボイスが1984年に東京芸大で対話集会の時に使った黒板が展示してある。英語やドイツ語が黒板一杯に並んでいるが、彼の作品を知らないとこれがなぜ「社会」なのかはわかりにくいだろう。これは東京芸大の所蔵だが、誰か教員が集会後に保存を思いついたに違いない。そこまで「痕跡」をありがたがるのはボイス的ではない気もする。

またその向かいに森村泰昌のマネの《オランピア》をもとにした2点がある。1989年の初期の代表作と《モデルヌ・オランピア2018》と題した最近の芸者バージョンで、これは大きいし見ごたえがある。外国の観客が大笑いして写真を撮っていたが、はたしてなぜこれが「社会」なのか。

それはもう学芸員の感性次第だろう。実際には、国語・算数・理科・社会ではなく、国語、社会、哲学、算数、理科、音楽、体育、総合となっている。「哲学」で、李禹煥(リ・ウファン)はいかにもという感じだが、宮島達男のLEDの数字の点滅もそうなのかと思い、奈良美智の目を閉じた少女の顔を描く大判の絵はいくら何でもと思う。

「総合」というのは21世紀になって始まった科目なので私には何のことかわからないが、そこにパネル展示で紹介されていた高田明のプロジェクトに目をむいた。「クルド人と巡る”関東大震災・東京大空襲”ツアー」とか「中国在留邦人と巡る”東京裁判”ツアー」とか、実際に人を集めて2日間実施しているのだからすごい。

そんなこんなで楽しんだ。これは森美術館開館20周年記念展で、最後に入場者数など統計がパネル展示してあった。総入場者数は1900万人近く、1日平均は何と3,213人。これは相当の数字ではないか。そして入場者の年齢で30代までが3/4を占めるのもすばらしい。この20年の日本の現代美術の隆盛を牽引してきたと言えるだろう。

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