『ジャン=リュック・ゴダール』に震える:その(1)
9月22日公開のシリル・ルティ監督のドキュメンタリー『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)』を試写で見た。亡くなる直前に昨年9月のベネチア国際映画祭で発表されたものだが、今見るとまさに追悼のために作られた作品のようだ。
私にとって、この監督はとにかく別格だった。何をしても許されるというのか、内容的にもスタイル的にも振幅の激しい作品群を残しているが、どれを見てもそこに「ゴダール」がいて、よくわからなくても何となく納得して感心してしまうところがあった。
今回の映画を見て、まず1つのことを考えた。この監督は私が生まれた頃にデビューして、映画を見始めた1980年代にちょうど商業映画に戻って再び脚光を浴び始めたということだ。1983年に六本木シネヴィヴァンが開館した時のオープニング作品がゴダールの『パッション』で、「ゴダール、映画大陸に復帰!」とチラシに書かれていたことを思い出す。
そんなことを考えたのは、この映画が4つの章に分かれており、80年代以降は第4章で20年ぶりの華やかな時代だったことがわかるから。その派手な感じに当時の私はやられてしまい、『パッション』は1年間で5回くらい見たと思う。だからこの映画とか『勝手に逃げろ/人生』(80)とか『カルメンという名の女』(83)のシーンが出てくるだけで震えてくる。
特に最近フランソワ・オゾン監督の『苦い涙』に出ていたハンナ・シグラが、『パッション』を思い出しなら笑い出すシーンがよかった。この映画ではとにかく女優が撮影の記憶をたどるシーンがおもしろい。
一番驚くのは、マリナ・ヴラディが『彼女について私が知っている二、三の事柄』(67)で、出演者全員にイヤホンで台詞を送っていたと語ること。シナリオはなく、まずゴダールがマイクで話し、俳優がその通りに話す。実際にゴダールがマイクに小さな声で呟いて直後に俳優がそれを繰り返す映像も出てくる。
「過去の意味論的豊かさは絶対に失われるだろう」といった複雑なセリフを、俳優は「ロボットみたいに」(ヴラディの言葉)繰り返すだけ。ヴラディはゴダールに求婚されたが、ルーマニアに恋人に会いに行くと断ると、「返事は帰ってきてからでいいから」と言ったという。そんな話をヴラディは実に楽しそうに優雅に話す。
果たしてこういう「口パク」はほかの映画にもあったのか。それはわからないが、政治的になってゆくこの年の『中国女』や『ウィークエンド』にはあったのかもしれない。『ウイークエンド』に出ていたミレイユ・ダルクが、ゴダールが「何を考えているかわからなかった」「自分たちは意地悪な役だったし、映画自体が意地悪だ」と述べる当時の映像がある。
ほかにもゴダールの父親や妹が出て来て話す映像もあるが、今日はここまで。
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