久しぶりに鹿島茂本を読む
会社員の頃、フランス文学者の鹿島茂さんの本をたくさん読んだ。仏文出身でフランス語の先生になろうとさえ思った時期もあったのに、その世界を離れて美術や映画の仕事をしていた私には、ある種の懐かしさがあったのだろうか。単に彼の文章が「おもしろくためになる」こともあった。
今回、例によって近所の「かもめブックス」で買ったのは『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』という文庫だが、数ページ立ち読みして実におもしろかった。フランスやパリに関することを文学的あるいは文化史的な蘊蓄と共に語られているが、そこにいつも「日本人としての私」がいる。
どこを読んでも「そうか」と頷くことばかりだが、「だれのものでもないパリ」という一文には参った。「これは二人だけの秘密。だれにもしゃべっちゃ駄目」「パリを愛したほとんどの人は、パリは自分にだけこの言葉を語りかけたと一生思い込んだまま、幸せな気持ちで死の床につくことになる」
だから「パリに一カ月以上、いや一週間以上滞在したことのある人はだれしも「私のパリ」「私だけのパリ」について語りたくなったことだろう。「私が初めてパリを訪れたとき、パリは……」というわけだ」
このあたりを読んで笑ってしまった。このブログでも「最初にパリに行った時は」「1年間留学した時は」「1992年に語学研修で3カ月過ごした時は」「7年前に半年間過ごした時は」といつも書いている。パリくらいみんな行っているのに、まるで特別なことのように一生語り続けるのだからすごい。
「実際、パリを独り占めにせんという野望に燃えてパリに入りながら、やがてなんの野心もなく、ひとり屋根裏部屋で朽ち果てた人間は数知れない。しかし、こうした人物に、パリで暮らして幸せでしたかと問えば、まちがいなく、「ええ、とても幸せでした」という答えが戻ってくることだろう。これはまさにファム・ファタル(宿命の女)に入れあげた末に落魄した男の痴れた幸せ以外のなにものでもない」
私はパリに永住するには至らなかったが、その可能性は大いにあった。大学院の時にフランスの国立映画学校(LA FEMIS)を受けたが、合格していたらそのまま居ついていた気がする。それもよかったかもしれない。パリに住む澤田正道さんのように日本好きのフランス人と結婚して、日本映画の配給や合作などをやっていたのではないか。
とりあえずパリに住む日本人たちは、日本に住んでいる私たちよりも、幸せそうに私には見える。そう思うのは、私がファム・ファタルの支配下にいるからだろうが。
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