ヌーヴェルヴァーグ再訪:その(3)
最近はあまり名前を見ないが、ヌーヴェルヴァーグにおけるアレクサンドル・アストリュックの役割は大きい。一番有名なのは1948年に書いた「カメラ万年筆」という文章で、後にヌーヴェルヴァーグがめざす方向を先取りしていた。
「脚本家はもう存在しなくなる。そのような映画においては、作者(auteur)と監督の区別はもはや意味を持たなくなるからだ。演出とは、もはやシーンを図解したり提示する手段ではなく、正真正銘の書く行為(傍点=エクリチュール)なのだ。作家が万年筆を使って書くように、作者はカメラを使って書く」
これは前にここで書いた「アンドレ・バザン研究会」による2017年の冊子に載っているが、これを書いたアレクサンドル・アストリュックはその後自分の理論を実践して映画を撮り始める。私は昔から彼の映画を見たいと思っていたが、なぜかフランスでもDVDがほとんど出ていない。ところがある時、一番有名な中編『恋ざんげ』(1952年、45分)をYoutubeで英語字幕付きで見つけた。
1952年といえば、まだヌーヴェルヴァーグの監督たちが短編さえ作っていなかった頃。これがまるでトリュフォーが作ったような洒落たロマンチックな映画だった。原作はバルベイ・ドルビーだが、映画はすべて「私」の語りで台詞はなし。20歳の私は兵士で田舎のブルジョア老夫婦の家に下宿していた。ある時夕食に美しい娘(アノク・エーメ)が現れた。
彼女はこっそり自分の手を握るので、気があるのかと思って翌日手紙を渡す。しかしそれから1カ月、全く何も起きなかった。ところがある夜、彼女アルベルティーヌはやって来た。両親の部屋を通り抜ける必要があるので、躊躇していたらしい。そして2日に1度彼女はやってきて愛を交わした。ところがある夜、彼女は動かなくなり、死んでいた。
彼女を抱いて部屋を出るが両親の部屋は通れず、また部屋に戻って窓から突き落とすことや自分が自殺することも考える。結局、この家と知り合いの上司に告白して逃げ出すのだった。
撮影は『日曜日の人々』(30)で有名になったオイゲン・シュフタンで、ナチスを逃れてフランスに来て『霧の波止場』(37)などを撮影している。明暗のくっきりした画面作りで有名だが、この映画ではすべて室内ながら、ドアの向こうの両親の姿や娘を両手に持って階段を降りる「私」を雰囲気たっぷりに撮っていた。
何よりも、モノローグによる語りだけで進むのが、ヌーヴェルヴァーグの先駆と言えるのではないか。次にYoutubeで長編『女の一生』(58)も見た。こちらはモーパッサンの原作だが、これも主人公ジャンヌ(マリア・シェル)のモノローグで進む。さすがにこちらは台詞があるし、当時珍しいカラーで時代ものなので全体にオーソドックスなできあがり。
それでもジャンヌの語りが悲劇的な生涯を淡々と語る演出は悪くない。そろそろアストリュックもデジタル復元版ができないだろうか。
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