他人のことを考えるようになった
とにかく長い間、自分のことだけを考えてきた。「時間がない」と言いながら(あるいは心の中で思いながら)、自分がすべきこと、したいことを優先してきた人生だったように思う。
ところが、還暦を過ぎた頃からか、時々は他人のことを考えるようになった。先日、地下鉄の駅ホームで倒れている中年女性がいた。たぶん熱中症かもしれない。それに気がついた若い女性が「大丈夫ですか」と声をかけていた。朝9時頃なので周囲は乗り降りする人々が一杯だが、みんな無言で見て見ぬふりで通り過ぎる。
私は若い女性に「駅員さんを連れてきます」と声をかけて駅に駆けのぼった。「女性がホームで倒れています」と声を挙げるとすぐに「了解しました」。1分もしないうちに車椅子を持って2人の駅員がやってきた。結局その女性は冷房の効いた駅員室に運び込まれて一件落着。
なぜそんなことをしたかと言えば、単純に時間があったから。たぶん2本くらい後の電車に乗ったが、その余裕があった。大学の授業に行く時だったが、始まる30分以上前には着くようにしているので、このくらいは何でもない。
あるいは大きなスーツケースを持って地下鉄駅に着いて、エレベーターもエスカレーターもないことに唖然としているフランス人の30代女性が2人いた。その時は英語で「アイ・ヘルプ・ユー」と言って、スーツケースを1つ持って降りた。するともう1つは2人で担いできた。感謝されたが、すぐに去った。たぶん1分ほどしかかかっていない。
20代の男性が、自販機で財布を出した時にカードなどが何枚か落ちた。男性は気づかずそのまま前に歩いてゆくので、私はカードなどをすべて拾って走って届けた。これなどは近くにいた人が誰も動かなかったことが不思議だった。
そういえば、自宅近くでパスモを拾ったことがあった。名前が印字されたものなので、近くの地下鉄駅に届けたら交番に行くように言われた。ちょっとカチンと来たが、すぐそばの交番に届けた。場所と時間だけを伝えて自分の名前などは書かずに去った。
この数カ月思い出すだけで、こんなことがあった。余計にかかった時間は長くても10分くらいだろう。それでもこれまではそんな「親切」は避けてきたと思う。なぜ他人のことを考えるようになったのか、自分でもわからない。
大学で教えるようになったことはあるだろう。教育は人のためのものだから。そして先生はいい人でないといけない。あるいは最近になって新書を2冊出したことがあるのかも。自分にできることはこのくらい、と悟った。とすれば、余った時間はほかの人のために使った方がいいと。
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コメント
前は、人の不幸を喜ぶのがいきがいのようだったのですが、だんだんいい人になりたくなってきました。
ドアをあけて、待っててあげたりして、「ありがとうございます。」なんて言われるのすきです。
また、ものをあげるのが好きになりました。今日も、事務所のみんなにハーゲンダッツを買ってきて、3時にたべてもらいました。飲み会のときにも、花束を買ってあげたりしています。女性相手だけ、気をつかって、いい人になろうとしています。女性は、物を上げるのが、いいようです。見返りを期待しないで上げるのが。福砂屋のカステラなんかも評判いいです。泉屋のクッキーはコスパがいいです。美術展などで買ったポストカードを100円ショップ買ったフォトフレームとともに上げるのもコスパよいです。ポストカードは、たくさんの中から選んでもらうのがいいみたい。
自分のやりたいことみたいなのが、希薄になり、いい人になりたくなっているような気がします。
偽善者のようですが、精いっぱい偽善者になろうとおもってます。
投稿: jun | 2023年8月16日 (水) 21時45分
はっきりしているのは、ものを上げて喜ぶ人は非情に少ないということ
投稿: | 2023年8月30日 (水) 11時19分