『燃えあがる女性記者たち』に素直に感動する
インドのリントゥ・トーマスとスシュミト・ゴーシュによるドキュメンタリー『燃えあがる女性記者たち』を劇場で見て、素直に感動した。インド北部のウッパルプラデシュ州で、カースト最下層の「ダーリト」に属する女性記者だけの新聞「カバル・ラハリヤ」の日々を描いたもの。
週刊の地方紙だったが、2016年からSNSとYoutubeを中心に据える。スマホを一度も使ったことのない記者もいる中で、みんなが一から新しいやり方に取り組む。違法の採掘現場に乗り込み、そこで死んだ家族にスマホを向ける。あるいはトイレがない家を取材して、生まれてからトイレはいつも外だったと言わせる。
みんな「なんだこの女たちは」という顔をするし、動画が出たらマフィアに殺されると恐れる者がも多い。映画のなかでも顔をぼかした人が何人も出てくる。それでもおかしいと思った事実を伝える。レイプの事件では警察を訪ねてスマホを向けて話させる。娘を殺された父親は顔を隠し泣きながらながら悔しさを訴える。
するとほかのメディアも騒ぎ出し、しばらくすると採掘は中止になり、水道ができてトイレが作られる。レイプの容疑者は逮捕される。この映画で一番中心となる記者のミーラは「映像の報道によって社会を変えたい」と言うのがすごい。「真実を伝えたい」ではなく、現実を変えるためにジャーナリズムがあるというのだから。
最下層で女性だけという失うもののないような記者たちが、思ったままに無邪気に動くのがいい。選挙運動の群れの中で、仁王立ちでスマホを固定させて候補者を捉える。みんな馬鹿にした目で見るが、映画を見ていると着飾った政治家やその取り巻きの方がよほど気持ちが悪く見える。
最近、インドのモディ首相は国際社会で目立った発言をして注目されているが、この映画ではヒンドゥー教至上主義を唱えるインド人民党の政治家として出てくる。ヒンドゥー教のお祭りで支持者は人民党の帽子をかぶっているが、記者のミーラは「なぜ人民党の帽子ですか」とさらりと聞いてしまう。
スニータという若い記者がどんどん活躍する様子も写るが、終盤で彼女は結婚のため退職すると言う。家族のことを考えると独身ではいられないと。何とも残念だなと思っていたら、終わりにクレジットで彼女が結婚後復職したと出てきた。
さらにクレジットでは、2014年以降インドでは40人以上の記者が殺されたとあった。「カバル・ラハリヤ」の記者たちも危ないと思うが、こういう映画ができて海外で公開されるとそれは難しくなると思いたい。
記者の数はわずか20人余りなのにスマホ一つで「世の中を変える」ために頑張っている姿を見ると、かつて何千人の新聞社で働いていた自分は何だったのだろうか。
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