池袋西武を守ろう
先週8月31日金曜日に池袋西武が全館ストをした。私は従業員たちが集会をしているニュースをテレビで見ながら、妙に興奮していた。「池袋西武を守ろう」と思った。なぜそんな気持ちになったのだろう。
まず私は「男おばさん」で、コンビニもスーパーも百貨店も大好きだ。商品を見るのはタダで、膨大な商品が並ぶ空間をフラフラと見て回ることに快感を感じる。今ならば冷房もあって快適このうえない。特に百貨店は高い商品がいくらでも並んでいて、見飽きない。まさに百年ほど前にヴァルター・ベンヤミンが呼んだ「フラヌール」=散策者である。
さらに15年ほど前から勤め始めた大学が自宅から池袋経由で行く場所にあるので、行きと帰りによく池袋西武に寄ることになった。私はこの百貨店の地下は1階も2階も、何がどこにあるかほぼ覚えてしまった。
かつて銀座に近い新聞社に勤めていた時は三越や松屋によく行ったが(GINZA SIXはなかった)、池袋西武ほどには散策していない。あくまで何かを買うために行った。池袋西武はもっと庶民的で、まず格段に大きく客の数も断然多い。そのベタな祝祭感が違う。
過去に遡っても、池袋西武への愛着は理由がある。福岡の大学生だった頃、東京に行く時は必ず池袋西武の西武美術館に行った。ロシア・アヴァンギャルドの展覧会など覚えている。大学院に行ってその後に勤め始めた頃は、この美術館と同時に「スタジオ200」にもよく行った。ホウ・シャオシェンを初めて見たのも、土本典昭のドキュメンタリー数本を蓮實重彦氏のトーク付きで見たのもスタジオ200だった。
その前に、一つあった。私は1985年7月末に1年間のフランス留学から帰国してそのまま東京で就活をした。そこで西武百貨店に内定をもらった。面接は池袋のサンシャインビルのオフィスだったので、2回の面接の前には池袋西武を上から下まで全部見て回った。
もちろん当時は西武百貨店が作ったばかりの映画会社シネセゾンに入りたいから受けたわけだが、第2志望はスタジオ200勤務だった。西武美術館の凄さを感じたのは、新聞社の文化事業部に移ってからだが。西武美術館の外にあった「アール・ヴィヴァン」には、パリのポンピドゥー・センターで開催されたマルセル・デュシャン展のカタログなど、欲しいものがずらりと並んでいた。
12階の西武美術館は1階に降りてセゾン美術館となり、数年後に閉じた。スタジオ200もいつの間にかなくなった。今では何もなくなったが、それでも池袋西武は日本一の百貨店だと思っている。ここを存続させるために自分として何かできないか、考えている。
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