借金取りに追われる人生
映画ではよく借金取りが出てくる。貧しい家庭に借金取りが現れると、父親は奥に隠れて母親が何とか言い訳をする。子供はそれをじっと見ている。こんな場面は世界中の映画にある。
私はマンションの借金もようやく終えたので、どこにも借金はないはず。それでも四六時中借金取りに追われている気がして落ち着かない。大学院を中退して就職した時、私は本当に安心した。これで家賃の高い東京で何とか食べていけると思った。
会社員はやってみると、冗談のように楽ちんだった。言われるがままにコピーを取ったり、印刷会社に見積り書を頼むだけで、月に手取りで15万円ほどもらえるのに驚いた。そのうえ、千葉の行徳の2DKを1万円ほどで借りられたから、人生は楽勝だと思った。会社に毎日行くなんて何でもなかった。1カ月もやれば、体がひとりでに動く。
そうか、みんな会社員になれば楽な人生を送れるとわかっているからそうするのだと改めて感心した。文学と映画に毒された私はフランスに行き、大学院にまで行ったけれど、ようやく普通の人生に戻って来たと思った。それは1980年代後半の話で、今だと会社に入ったからといって、安心ではないようだが。
それでも5年ほど働いたら飽きてきた。ある仕事で有名なグラフィック・デザイナーと組んで豪華な印刷物を作ったら、予算を大幅に越して異動になった。行った先でやった仕事をきっかけに、新聞社に転職した。私が借金取りに追われるようになったのはその頃からだ。
最初の職場の終わり頃、私は『魔術師メリエス』という伝記の翻訳を始めた。その原書と軽いワープロ(富士通オアシス!)を持ち歩き、暇さえあると翻訳した。出版社が決まって原稿を出してからが、実は地獄の始まりだった。いつもゲラを持ち歩き、気になる部分を直した。夜寝ていても、急に起きて赤を入れた。
そのうえ、新聞社の本業は展覧会などの企画を立てることだった。暇さえあると美術館に行き、学芸員と話して企画を作った。あるいは海外まで行って数年先の展覧会を準備した。そうすると、いつまでたっても暇は訪れない。いつも何かに追われるような人生になってしまった。後半に記者になって急にラクになったが、長続きはしなかった。
大学に移ってこれは久しぶりに楽だと思ったが、しばらくするとそうでもなくなった。原稿を書く仕事が多くなり、数年前からは本を出すようになった。これが今も続いていて、相も変わらず借金取りに追われるような毎日である。
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