今年は父が死んだ年になる:その(13)
「朝日」の夕刊に「取材考記」という欄がある。記者が最近書いた記事について振り返るものだが、森下香枝という記者の一文に目が留まった。この記者の名前は、女優の島田陽子さんが「無縁遺骨」になった記事などを連載で書いていたので記憶に残っていた。
「50歳までは生きることに不安や恐れを抱くが、50歳を過ぎると、ヒタヒタと背に迫る死を恐れるようになると思う」という文章で始まる。私は60歳を過ぎてから、そんな思いに駆られている。この記者は一回り下の世代なのに、自覚が早い。
私は長い間、「どうにか自分で食べていかないと」と思っていた。特に24歳で東京に住み始めた時、「家賃の高い東京で自分は暮らしていけるだろうか」と思い、その不安はいつまでも続いた。だからいつも臆病で、安定して給料をもらえるところにばかり勤めてきた。
福岡では家賃が2万7千円でバストイレ付きの1DKだったが、東京では練馬区の端っこでもその倍以上かかった。大学院に通っていた1年間、毎日家賃のことばかり考えていた。就職してからも、少し金が溜まると慌てて小さなマンションを買った。それから25年ほど前に今の神楽坂に買い替えた。
住処はとりあえず死ぬまでここに住み続ければいい。3年半後に給料はなくなるが、これまでのような贅沢をしなければしばらくは年金と貯金で何とか食べていけるだろう。2、3年に1度本は出すつもりだが、自分の場合は残念ながら儲からない。本やDVDを買うお金がかかり過ぎるから。
「独身や子なし夫婦だけでなく、家族がいても親戚付き合いがなければ、最後に死んだ人は無縁になる」という就活ジャーナリストの言葉が引用されていた。とりあえず、死んだらどうして欲しいかを遺書に残して弁護士に預けるところから始めるべきか。確か上野千鶴子さんは、個人の弁護士だとその人が死ぬといけないので、会社組織の弁護士事務所がいいと書いていた。
もし70歳までに死ねば、少しはお金が残るはずだ。それが税金で持って行かれるのは嫌なので、寄付先を決めておきたい。さてどこだろうか。いざというときは、最近毎月3千円寄付している国連難民協会か。私は墓に入りたいとは思わないが、新宿区によって「無縁遺骨」として処分されるのはちょっと悲しい。どこでもいいから、金を払って決めておいた方がいいかも。
そんなことを考えるようになったのも、父が死んだ年になったからだろうか。
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