『アル中女の肖像』は謎の映画
ウルリケ・オッティンガー監督の『アル中女の肖像』(1979)を劇場で見た。1942年生まれのドイツの女性監督だが、1本も見たことがないどころか、名前も知らなかった。それが突然3本も上映するという。渋谷で時間があったので急に見ることにした。
『アル中女の肖像』を見たのは、題名がいいと思ったから。「アル中女」というのは、それだけで反社会的な感じがするし、予告編を見るとベルリンの退廃的なバーなどが出てきて好みかもと思った。想像したのはダニエル・シュミットのようなバロックな構築美だった。
ところが全く違った。シュミットのような物語性や内面性はなく、ひたすら表面だけが語られる。空港のカウンターにいる女がベルリン行きの切符を買う。「往復ではなく片道」。そこはJamais Retour(=戻りなし)とフランス語だが(この言葉はタイトルのように大きく出てくるし英語題Ticket of No Returnになっている)、話しているのはポルトガル語だ。
リスボンからベルリンに行くのかと思ったが、今はなきパンナム機に乗っていたので、ブラジルからだろう。いずれにせよ、ファッションモデルの格好をした若い女性がベルリンに着く。飛行機の中でベルリンでの飲酒計画を練ったことが語られる。空港も税関も人が少なく、何だか作りもののよう。
空港には真面目そうなチェックの柄のスーツを着た女性が3人。ホテルに着き、バーに行く。ひたすらコニャックやシャンパンを飲む。あちこちでなぜか小人に会う。道路で会った浮浪者風の女と打ち解け、ホテルに連れ込む。彼女にも自分の衣装を貸し、二人で街をさまよい、バーで飲み続ける。
不思議なのはこの主人公の女性に名前がなく(そもそも誰にも名前がない)、何を考えているかさっぱりわからないこと。毎日違ったファッションに身をまとうが、着替えている時も食事を取っている時もない。ただ夜に飲みに行くだけだ。そのうえ、ほかの人は話すが、彼女は一言も話さない。
そして酒を味わっている様子も、飲み過ぎて気持ちが悪くなる場面もない。ただロボットのように飲み、小人と女浮浪者と3人組のインテリ女に何度も会う。時おり主人公の顔のアップ。女浮浪者といる時にはおっぱいが出たり、お尻が見えそうになったりするが、それだけ。男の餌食になることもない。そもそも男は小人を除くとバーのバーテンくらいしか印象に残らない。
後半、船に乗って湖を横切り、ベルリンのゴミ集積所のような場所に着く。グルーニッケ橋があったはず。夢の島みたいでいい感じだが、そこで女浮浪者と再会するシーンが、唯一温かみが感じられたような気がした。それにしても、謎の映画であった。
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