『ハンチバック』に面食らう
芥川賞受賞の市川沙央『ハッチバック』を読んだ。重度障害者で車椅子生活の筆者の痩せた顔写真を新聞や広告で見て、気になっていた。そのうえ、「朝日」に載った彼女の受賞後のエッセーも謎めいていた。
本屋では何と一番いい場所に平積みで、6月30日第一刷、私が買ったのは7月25日五刷り。読んでみると、全く知らない世界ばかりでショッキングな要素をあえて複雑に混ぜている混交体のように思えた。
まずはグループホームに住む重度障害者の日々。そこではヘルパーさんがやって来て食事の介護をしてくれる。主人公は「コタツ記事ライター」をしている。何のことかと思ったら、「コタツ記事というのは、取材をせず、ほとんどネット上の情報のつぎはぎで粗製乱造された記事をいいます。」
「一記事3000円貰えるので、介護や子育て中の方、私のような重度障害者など、家から出られない人たちにとっては、良いバイトです。私はお金目的ではないので、いかがわしい記事で稼いだ収入は全額、居場所のない少女を保護する子供シェルターやフードバンクやあしなが育英会に寄付していますけど」
この複雑な状況に驚く。実はこれは主人公が大学のオンライン授業で課題に書き込んだこと。彼女は金に困っていない。オンライン上の大学生でもある。この小説には両親が財産を残してくれて、家賃収入で食べていけること、自分が済むグループホームも親が所有していたことが説明される。
「学歴ロンダリングと自ら嗤いながら通信大学のハシゴをしているわけだが、私にとって社会的なつながりと言える場はコタツ記事ライターのバイトを除けばここにしかなく、世の中で一言で通用できる肩書き、例えばプルダウンから選ぶご職業の欄に設定された選択肢、つまり会社員とか主婦とかになれない私は、40を過ぎても大学生の3文字にお金を払ってしがみついていた」
この自嘲的な皮肉と怒りの強さはただごとではない。「紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減ってゆく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていれば済む健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義(ルビ:マチズモ)ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ」
いやはや、紙の本を電車の中で片手でめくっていた私は、ドキドキしてしまう。物語はこの主人公が「妊娠して中絶してみたい」と目論んで、男性ヘルパーを相手に実行しようとするものだが、読んでいてズキズキ痛い。本当に短いのですぐに読めるが、実は巧妙に仕掛けられた文章に見える。
インタビューで「小説のなかで私の生活の事実は30%」と語っていて、またショックを受ける。この小説はある種、突破口を開いたのではないか。
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