マリーズ・コンデの『料理と人生』を読みながら
いわゆるクレオール文学というのは読んだことがない。一時期「ポストコロニアリズム」が流行っていたので敢えて避けた。今回その代表選手であるマリーズ・コンデを読んだのは、訳者の大辻都さんが知り合いで本をいただいたから。これが抜群におもしろい。
マリーズ・コンデは中米のグアドループ生まれで、ここはフランスの海外県だからフランスの一部。それから16歳でパリに留学し、ソルボンヌ大学に進む。それからギニア人の俳優と結婚してギニアなどアフリカで教職に就きながら10年以上暮らした後にパリに戻る。博士号を取り、小説を書いて、主にアメリカの大学で教える。
略歴を書いたのは、この本を読んでいると世界各地を回ってさまざまな料理を食べて思ったことがえんえんと書かれているから。まず小さい頃から料理が好きだった。女中のアデリアに「学校で一番の子がキッチンに首を突っ込むのが大好きなんて」と言われ、母には「料理なんかにかまけるのは馬鹿だけ」
冒頭にこの言葉が出てきて、私は自分のことを思い出してしまった。私の父は私が台所をウロウロすると、「男は台所には行かんほうがよか」と何度も言ったし、母もいい顔をしなかった。しかし私は食材を見るのが大好きでスーパー(というより、よろず屋)に喜んで行った。いつも冷蔵庫の中を覗いて「この肉は焼くと?」と聞いていた。
大学生になってからは毎日自分で料理を作った。基本的にはさまざまな肉と野菜をいろいろな調味料で味付けするだけだが、調理と味付けで和風にも中華風にもフランス風にも簡単にできることが、実に楽しかった。友人に食べさせるとみんな喜ぶ。その楽しみは今も続く。
私のことはともかく、マリーズ・コンデにとって「料理の意味」は「文学同様、それは長きにわたり私の人生を占めてきた情熱だったのである」。これは本の冒頭でシェフと一緒に料理の本を出そうと文学の有名出版社に持ちかけて「まるで興味をそそられないし、そもそも料理本とは販路が決まった専門の出版社が扱うのがつねだから」と門前払いにあった後に書かれた言葉だ。
「伝統料理はわたしの趣味ではなかった。そのレシピは先祖から押しいただいた聖典から生まれたみたいに変えようがなかったから。わたしは創造を、発明をしたかったのだ」
「料理へのわたしの情熱は自由への夢と結びついていた。この好奇心は自分の根っこにある性格の一部だと感じていた。母はなぜこれを攻撃し、閉じ込めようとしたのだろう?」。そうして彼女はパリに向かう。パリで姉に、鶏の胸肉を古ラムとレーズンに漬けた料理を出すと「誰に教わったの?」「誰からも教わっていない」
「料理の技はさずかりものだ。ほかのすべての芸術と同じように、どうやって思いつくかなんて答えようがない」。おもしろすぎる。続きは(たぶん)後日。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『やなせたかしの生涯』を読む(2025.10.22)
- 今さら『名画を見る眼』を読む(2025.09.24)
- 『側近が見た昭和天皇』の天皇像(2025.09.05)
- 『アメリカの一番長い戦争』に考える(2025.08.28)
- 蓮池薫『日本人拉致』の衝撃(2025.07.08)


コメント