『ヨーロッパ新世紀』の深い闇
10月14日公開のクリスティアン・ムンジウ監督『ヨーロッパ新世紀』を試写で見た。久しぶりに身体的にずっしりと来る、重い映画だった。舞台はルーマニアのトランシルヴァニア地方、驚くべきことに話される言葉はルーマニア語(字幕は白)が6割、ハンガリー語(字幕は黄)が3割か。
そもそもクレジットから、この二か国語が出てくる。冒頭はドイツ語(そのほか英語、仏語などが1割で赤の字幕)。食肉処理工場で、ある男は上司に逆らって頭突きをくらわして工場を出てゆく。そしてヒッチハイクをしながら国境を越えて自分の村に帰ってくる。ところが息子と暮らす妻は「何で帰って来たの?」と不服そうだ。
帰って来た男、マティアスは自分の家族と村全体の崩壊を見ていく。息子のルディは森の中で何かを見て、口がきけなくなってしまっていた。マティアスは心配で何とか話させようとするが、うまくいかない。妻のアナは息子を男らしく育てようとするマティアスを無視する。マティアスには心臓疾患の父親もいた。
追い詰められたマティアスはかつての恋人、シーラに会いに行く。何度か通ううちに2人は関係を復活させるが、シーラは仕事の方が心配だった。彼女はパン工場のオーナーから経営を任されているが、従業員が足らないためにスリランカ人を雇う。
スリランカ人たちはよく働いて万事うまく行っているように見えたが、村人は急に来たアジアからの外国人に不安を感じ、SNSで排斥運動を始める。彼らはシーラのパン工場で作られたパンの不買運動を始め、教会で牧師に訴える。騒ぎは大きくなり、町長や警察やマスコミを交えた一大住民集会に発展する。
本当にヨーロッパの寒村で、羊や牛や犬や熊があちこちにいる。そこでは二か国語が普通に話され、ドイツ語や英語や仏語も出てくる。マティアスは祖先がドイツ系で父親にはドイツ語で話し、息子にもドイツ語を学ぶように諭す。スリランカ人はシーラ達と英語で話し、フランス人の環境団体の青年にフランス語で話す村人もいる。
そしてそこに起こる外国人排斥運動。もともとパン工場が外国人を雇うのは、若い労働者がマティアスのようにドイツなどに出稼ぎに行っているからで、誰が悪いのでもない。そのうえ村民はスリランカ人をイスラム教徒と勘違いしたが、彼らは敬虔なカトリックだった。
映画は奥深い村の闇を少しずつ見せながら、固定カメラのワンカットで17分続く強烈な住民集会に流れ込んでゆく。本当に暗澹たる映画だが、シーラの姿が救いだった。毅然として働き、最後にはオーナーにも反対する。マティアスと関係を持っても全く支配されない。夜中に物音がすると銃を持って立ちあがる姿がカッコよかった。今年後半で一番の映画ではないか。
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