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2023年9月17日 (日)

絵葉書のこと

鹿島茂さんの文庫『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノがたり』は、ここで既に2度書いた通り、フランスならではのモノについて歴史的な知識を交えながら解説している。もう一つ、「絵葉書」carte postaleについてだけは書いておきたい。

私が1984年に初めてパリに着いた時に驚いたことの一つは、絵葉書の多さだった。カフェ、本屋、新聞・雑誌店、土産物屋などの入口に、絵葉書を立てたくるくる回るスタンドがあった。図柄はエッフェル塔や凱旋門やノートルダム寺院のような観光地から小さな街角まで、「パリ」らしい絵葉書だった。

私はさっそく大量に買って、母親や姉や友人に送った。ベタなものは安く、アート感覚が感じられると少し高かった。さらに映画のポスターとか俳優とか作家などの写真を使ったものもあって、最初に2週間行った時は理由も考えずにたくさん買って日本に持ち帰った。

一年住み始めると、旅行するたびに買って日本に送った。カンヌから、ロンドンから、マドリッドから、ベネチアから。こうなると、それぞれの観光地の一番ベタな絵葉書の方がいい。母親には、その後仕事で海外出張した時も出していたから、何十枚も受け取ったはず。だが、一度も絵葉書の話はせずに終わった。

その後、共通の友人に連名で送る楽しみも知った。今カンヌで映画を見てます、などとそれぞれ書いてパリの友人に送る。これは今でも時々やる。といっても、亡くなったフランソワーズ・アルヌールさんと連名で国立映画アーカイブの岡田秀則さん宛てに送ったのが一番最近だから、2016年春のことだ。

そういえば、10年頃前、ベネチアで絵葉書を送ろうとしたら、どこにも切手を売っていなかった。絵葉書を売っている土産物屋や新聞店も扱わなくなって、郵便局で15分ほど待たされて買った記憶がある。メール、SNSの時代には、誰も絵葉書は送らないか。

鹿島さんの本によれば、絵葉書が市民権を得たのは1889年のパリ万博で日刊紙「フィガロ」がエッフェル塔の絵入り葉書を30万枚刷ってから。「とくにエロチックな写真絵葉書はパリ土産として喜ばれた。現在では、この世紀末からベル・エポックにかけて大量に発行された写真絵葉書が熱烈なコレクションの対象となり、毎年、何回かパリで絵葉書市が開催されている」

日本では絵葉書は流行らなかった。90年代頃までは日本に来るヨーロッパの友人は、日本で絵葉書が少ないのが残念とよく言っていた。今では誰も言わない。やはりすべてSNSだろう。絵葉書は19世紀末にできて、百年でなくなったものかもしれない。ところで今でもパリではあちこちで絵葉書を売っているのだろうか。最後に行ったのが2019年夏だが、記憶にない。

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