四半世紀ぶりに見る『そして僕は恋をする』
アルノー・デプレッシャンは、私の同世代のフランスの監督だ。『そして僕は恋をする』(1996)を見たのが最初で、その溢れるような才能に久しぶりに「ヌーヴェル・ヴァーグ」を感じさせる監督が出たと思った。
1997年春の公開時に見たが(シャンテかシネヴィヴァンか)、前年12月に監督が来日した。ちょうどジャン・ルノワールのシンポジウムで日本にいたジャン・ドゥーシェさんの「弟子」ということで3人で銀座で夕食をしたが、その時にはまだ見ていなかった。
その後も彼の映画のほとんどを見てきたけれど、この作品ほどの衝撃はなかった。そんなことを思いながら今回回顧上映が始まったので四半世紀ぶりに再見したが、とにかく全く覚えていない。主人公がマチュー・アマルリックで、彼が何人もの女性とつき合うという大枠しか記憶になかった。
そもそもアマルリック演じるポールが大学の哲学の講師というのさえ、忘れていた。彼がずっとつきあっているのがエマニュエル・ドゥヴォス(=エステル)で、関係を持つのがマリアンヌ・ドニクール(=シルヴィア)とジャンヌ・バリバール(=ヴァレリー)。さらにキアラ・マストロヤンニ(パトリシア)とも何かあったようだ。
その後有名になる女優たちがこんなに大挙して出ていたとは。少しだが、マリオン・コティヤールも出てくる。物語はポールを始めとする30歳前後の男女たちの不安な心情を回遊するように、するすると移り変わってゆく。ドラマらしきものは、ポールが最終的にエステルと別れ、大学に辞表を出して博士論文を仕上げるくらい。
男優もドゥニ・ボダリデス、エマニュエル・サランジェー、ティボー・ドゥ・モンタランベールなどその後のフランス映画を担う顔ぶれ。監督にそっくりの男が若き神父役を演じていたが、弟のファブリス・デプレシャンらしい。7、8人の男女が始終好きとか嫌いとか言って、喧嘩をして泣いて愛し合う。これが実に即興のようで、生きている呼吸が伝わってくる。
妙に女性の裸が多かったような気がする。特にマリアンヌ・ドニクールは何度も出てきたが、これは当時監督がつきあっていたからか。彼女はだいぶ後にある作品で、私生活を映画で使われたと監督を糾弾していたはず。
東京日仏学院は若い観客でほぼ満員だった。ブルーレイも出ているのに。確かにこの映画やジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』のような息詰まる3時間の映画は、とりとめのない退屈さも含めてスクリーンで見ないと意味がない。
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