4年ぶりの山形に来て:その(1)
2019年から4年ぶりのリアル開催となった山形国際ドキュメンタリー映画祭に来ている。今年のべネチア国際映画祭は、何度か書いた新聞から書かないかと聞かれたが、考えた後に行かないことにした。もう、新作をガツガツ見ている場合じゃないと思ったから。
山形の場合はどこに書くわけでもなく、何かを見たいという特別なものがあるわけではなかった。何となく3月にホテルを予約しており、時期が来て行くことにした。これは体に染みついた習慣のようなもので、1991年の第2回から2年おきに行っていたので、「行くのが当然」と思った。
考えてみたら、最初の頃は事務局の仕事を手伝っていた。93年には審査委員長のジャン・ドゥーシェさんの招聘を担当したし、95年には日本に最初に来たリュミエール兄弟のカメラマン、コンスタン・ジレルの娘さんを連れてきた。カタログの翻訳なども少しやっていた。
その後も山形に行けば友人に会えると思って出かけた。そこは、映画業界やライターや記者や研究者の中からとびきりの映画好きだけが集まる「映画の共和国」だと思っていた。教え始めて最初の頃は、学生にボランティアを勧めた。2019年までは「映画の共和国」の幻想の中にいた。
今年も会場に出かけると、何人もの知り合いに会った。ところが人によっては挨拶だけ。無理に話さなくてもと思う。あるいはお互いに見て見ぬふりをする人も何人もいる。あるいは東京でよく会っているので、新たに話すことはない。そんな感じで妙に居心地がよくない。
映画もこれまでのように何となく楽しむ感じになれない。『紫の家の物語』は、コロナ禍のレバノンで生きる若い女性画家の日々を描くアッバース・ファーデル監督の作品。彼女の描く絵やテレビ画面に写る小津安二郎やタルコフスキーの映画や赤々とした夕陽の風景が妙にわざとらしくて、3時間を超す3部構成を2部が終わったあたりで出た。
アルゼンチンのグスタボ・フォンタン監督の『ターミナル』は、バスターミナルを手持ちの隠しカメラで撮った作品。あえて画面の一部はボケた映像にして、自然らしさを装う。そしてそこに男や女の声で愛について語る言葉が流れる。現場の音、言葉、音楽が巧みに組み合わされているが、どうしても作り物の感じがした。
かつてここで上映された『100人の子供たちが列車を待っている』が映画館でヒットしたイグナシオ・アグエロ監督の『ある映画のための覚書』はさすがにレベルが違う。19世紀末に鉄道技師としてやってきて10年を過ごしたベルギーのギュスターヴ・ヴェルニオリーの日々を、現代の映像も交えながら再現する。
現実なのか、映画なのか、夢なのか。監督の姿も時々見えるし、現代の東京駅付近の列車から撮ったショットやリュミエール兄弟の『列車の到着』の映像も出てくる。その構造はいいのだけれど、植民地主義を考えるにはあまりにたわいない日記なので、見ながら何を考えたらいいのかわからなくなる。
昔は、コンペを中心に何でも見た。映画を何本も見続けることが、大事だった。今は、その時期は終わった。
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