『月』の重苦しさ
ブログを毎日書かなくなったら、映画を見る数が少し減った。そんなつもりはなかったが、どこかで毎日ブログを埋めなければと無意識に思っていて、映画を見に出かける癖がついていた。展覧会も、暇さえあると足を運んでいたかも。
それこそ「借金取りに追われるように」、毎日どこかに出かけてそれをブログを書いていたような気がする。これがなくなって、休みの日に一日中家にいると、本当に心が休まる。還暦を過ぎたら、これくらいの休息は必要。
見る数が減ると、どうも厳しい見方をするようになったかも。かなりの人が絶賛している塩田明彦監督の『春画先生』がどうも私にはピンとこなかったし、国立西洋美術館の「ポンピドゥーセンター キュビスム展」もずいぶん平板に見えた。
そして最近映画館で見た石井裕也監督の『月』が、どうも違うと思った。ちなみに私は塩田明彦監督は好きな映画は多いし、石井裕也監督は作品によるが『舟を編む』などすばらしいと思っている。しかしながら今回は重苦しいだけだと思った。
最初に宮沢りえが髪を切って短髪になり、それから障がい者施設に行く。そこで見る障がい者たちの描き方に違和感を持った。そのうえ、宮沢りえ演じる洋子は書けなくなった小説家で、彼女を「師匠」と呼んで一緒に暮らす夫の昌平(オダギリジョー)は人形アニメ作家を目指すプータロー。
この2人の夫婦の重い物語がある。洋子は東日本大震災をテーマにして有名になった小説にどこか罪の意識があり、次の小説が書けない。施設にはそこを指摘する小説家志望の陽子(二階堂ふみ)までいる。さらに夫との間には障がい児のまま亡くなった幼い息子がいて、洋子は再び妊娠して悩む。
夫の昌平はマンションの管理人として働くが、管理者にいじめられる。それでも自宅でコツコツと人形アニメを撮影している。この2人の夫婦だけでも十分に物語がある。宮沢りえとオダギリジョーの存在感はすごいので、強烈な磁場が生まれる。
しかし大変な2人に加えて輪をかけて障がい者施設があってそこで働く「さとくん」(磯村悠斗)がだんだんおかしな思想に目覚める。施設に働く人が少なすぎるし、施設長も個々の患者たちもカリカチュアのように見える。磯村悠斗も二階堂ふみも熱演なのだけれど、この施設の中だとどこか作り物。
演出の気迫が全体に現れているので2時間24分は退屈しない。だけどこれを絶賛する気にはならなかった。
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