棟方志功展に考えたこと
二か月ほど前に毎日書くことを止めたこのブログは、なんとなく2日に1日書くリズムができた。自分でも決まりを作った方が書きやすい。これでも毎日に比べたら隔日は負担は格段に軽い。さて、東京国立近代美術館で12月3日まで開催の「生誕120年 棟方志功展」を見に行った。
私が小学生の頃はこの版画家はよくテレビに出ていた。丸眼鏡をかけた「世界のムナカタ」として有名だった。今回見に行って一番驚いたのは、生まれが1903年で小津安二郎と同じ年であること。小津は今では「世界のOZU」でムナカタより海外で有名だが、生前には黒澤明や溝口健二に比べても外国では知られていなかった。
棟方志功は1955年のサンパウロ・ビエンナーレ、翌年のベネチア・ビエンナーレで連続して版画部門の最優秀賞を取った。映画だと1951年のベネチア国際映画祭で黒澤明が『羅生門』で最高賞を取ってから日本人受賞ラッシュが始まる。要するに51年のサンフランシスコ条約締結以降、日本を資本主義社会に受け入れて共産主義化を防ぐ国際的環境だろう。
それともう一つ気になったのは、棟方志功の戦争との向かい合い方である。日本の監督は戦場に行ったり、戦争映画を作ったりいろいろ苦労している。ところが棟方志功は目が悪くて召集されなかった。しかし解説パネルには彼が海軍のために不動明王像を描いたり、出征する兵士のために「虎ふんどし」を描いたり、戦争高揚のポスターや葉書も作ったと書かれている。
ところがそういうものは残っていないのか、一点も展示されていない。同じ美術館の常設会場の4階には藤田嗣治を始めとする米国帰りの「戦争画」が5、6点展示されているが、この版画家が描いたものは残っていないだろうか。彼の作品はいかにも「大和魂」と結び付けやすい気がするのだが。
彼が有名になったのは、国画展に出品しようとしてサイズが大き過ぎてもめていたところを、柳宗悦などの民芸運動関係者が見つけて高く評価したからのようだ。確かにヘタウマのような縄文土器を思わせる自由な日本的精神の発露は、河井寛次郎の陶芸などと通じるところがある。作品はできたばかりの日本民藝館や大原美術館に収蔵されて、一挙に芸術家として認知された。
それからは戦争はまるでなかったかのごとく作品を作り続けて「世界のムナカタ」となり、1960年代以降テレビにもよく出た。彼の作品自体はどれも愛すべきものだが、その自己充足ぶりがどうしても気になった。
ところで彼が版画大賞を取った1956年のベネチア・ビエンナーレの会場の3分ほどのビデオがあった。日本館の周囲は、屋根に巨大な日の丸が巻かれているのを除くと、今とほぼ変わらない。ところが展示は照明が蛍光灯だけという感じで、ずいぶんみすぼらしく見えた。展示風景の写真もあって、貴重な資料だと思った。
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