『ゴジラ-1.0』に考える
山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』を劇場で見た。実は終盤の仕掛けに泣いてしまったが、それはともかく、おもしろかった。何といっても、ゴジラが銀座をのし歩く場面がすごい。例によって列車を手で握りつぶすが、そこだけでも9.11や3.11などの大惨事を踏まえた映像だった。
今回の一番の違いは、現在ではなく過去のこととしてゴジラを描いていること。これまでのゴジラは作られた時点での現在が舞台だったが、これは戦争末期に始まって、それから戦後5年ほどたってゴジラがやってくる時代を描く。
そこでのポイントは元兵士の「自分の戦争は終わっていない」という屈折した思い。敷島(神木隆之介)は特攻隊で機体の故障を理由に逃げ、さらにたどり着いた大戸島でゴジラが現れた時にそこにいた部隊を救えなかった。だから戦後に他人の子供を預かった典子(浜辺美波)と暮らし始めても不発弾除去の仕事で生活が少し楽になっても、心は落ち着かない。
おもしろいのは、その5年間で東京の人々の生活が少しずつ出来上がるさまを見せていること。この歴史的な細かさはこれまでのゴジラにはなかった。東京にゴジラが現れて銀座を崩壊させさらにもう一度来るという時に、敷島は自分の命と引き換えにゴジラを殺すことで「自分の戦争」を終わらせようとする。
ほかにも元軍人たちが続々と集まって来て、戦時中に兵器開発をしていた野田(吉岡秀隆)を中心に新しい作戦に取り組む。自衛隊はなく、米軍はソ連を刺激しないために動かないからいうのがその理由。この元軍人の寄せ集め集団というのが、ある意味ではちょっと怖い。戦時中の満たされない思いをかなえたい復古主義の感じもするから。
映画は巧みに野田が特攻隊的な犠牲にならず、かつ格別のハッピーエンドまで用意して泣かせる。そこはちょっとごまかされた気もするけれど、最初から最後まで飽きなかった。実は、伊福部昭のゴジラの音楽が流れるだけで心が躍った。
見終わって思ったのはこれはアジアの国々で公開されるのだろうか、ということ。エンタメとしてはかなりの出来栄えなので公開されたとしたら、旧軍人の頑張りをどう思うだろうか。IMDBで見たら、中国を除くと欧米ばかりで20カ国を超す公開だ。中国ではどう捉えられるのだろうか。もちろんこの映画には、第二次世界大戦で誰が悪いかという視点は全くない。
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コメント
世代によっては、生き残ったことで
悪夢にうなされる親の話を思い出し
涙する方々もいらっしゃったようで...
投稿: onscreen | 2023年11月21日 (火) 12時25分