カウリスマキの『枯れ葉』から、杉本博司展へ
12月15日公開のアキ・カウリスマキ監督『枯れ葉』を試写で見た。最近は試写にあまり行かなくなったが、これは試写状を見て早く見たいと思った。特に東京国際映画祭でアジア各地の「野心的」な作品ばかりを見た後なので、巨匠の秀作を落ち着いて見たくなった。
それは正解で、貧しい男女が知り合って困難を乗り越えて一緒になる様子を、優しくユーモアたっぷりに描くファンタジーだった。出てくる音楽がどれも素晴らしくて、最後に『枯葉』のフィンランド語バージョンが流れると涙が出た。
内容は極めてシンプル。スーパーで働くアンサは、賞味期限切れの食品を廃棄する代わりに浮浪者に渡したり自分で持って帰ったりしていたことがバレて、反論しているうちにクビになる。ホラッパは工事現場で働くが、いつも小さな酒瓶をポケットに忍ばせているアル中状態。
彼らはカラオケバーで知り合い、なぜか惹かれ合う。一緒に映画(ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』!)を見に行き、帰り際にアンサはホラッパに電話番号を渡す。しかしホラッパはそれを失くしてしまい、彼女に会おうと一緒に行った映画館の前に毎日行く。ある時、そこで2人は再会する。アンサは自宅での夕食を提案するが、そこでまた悲劇が起こる。
アンサは偶然から犬を飼い始める。家には赤いソファがあり、アンサは赤いセーターを着る。新しく勤めた工場では黄色い服。赤、緑、青、黄色がどれも色濃く写り、まるで後期の小津安二郎のカラー作品か、鈴木清順の映画みたい。
『デッド・ドント・ダイ』を見た観客の一人はブレッソンの『田舎祭司の日記』のようだと言い、その友人はゴダールの『はなればなれに』のようだと言う。映画館にはブレッソンの『ラルジャン』やヴィスコンティの『青春のすべて』のポスターが貼られている。すべてフィンランド語の題名だ。
赤いラジオからは、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが絶えず流れる。雨がいい。秋の日の空がいい。流れるシューベルトやチャイコフスキーの音楽が直接心に響く。そして『枯葉』。このシンプルな強さは何だろうか。
この試写の後に、近くの渋谷区立松濤美術館で11月12日までの『杉本博司 本歌取り 東下り』を見た。杉本博司は劇場や自然史博物館や水平線を撮った写真はよかったが、森美術館の個展は自らを哲学者と思っているようでちょっと引いた。
その後の東京都写真美術館の個展はイベント的な盛り上げが怪しげで、今回は日本美術史の「居直った」模倣に見えた。あくまで私個人の印象だが、カウリスマキの澄んだ老境とは全く逆の感じ。
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