今年は父が死んだ年になる:その(17)
私は毎週金曜日は新聞各紙の夕刊を買う。「朝日」は購読しているので(昔は元社員は無料だったが10年ほど前から有料!)、「読売」「毎日」「日経」を買う。もちろん映画評を見るためだが、当然ほかの記事も読む。
ひと月ほど前か、「日経」夕刊にプロ野球の旧西鉄のホームラン王だった中西太氏の追悼文が載っていた。そこには盟友の豊田泰光さんの文章「太さんの出現は近代野球の始まりだという気がする」があった。つまり「スピードとパワー、さらに格闘技的ファイトを加えたのが中西氏」らしい。
もちろん私の太という名前は彼から来ている。父親が三池炭鉱の石炭の袋を作る会社の社長をやっていた頃、よくゴルフをしていた。何かの縁で西鉄の稲尾和久投手と一緒に回ったことがあったらしい。その時に私が生まれたという電話がかかった。それを稲尾氏に話したら「うちの中西さんの太はどうですか」と言われたという。
私もそうだが、父は話を「盛る」クセがあったのでどこまで本当かわからない。いずれにしろ、このホームラン王にちなんで私の名前は付けられた。最近になったわかったが、たまにこの名前を見ると同世代が多い。やはりあのホームラン王にあやかろうと思った親がたくさんいたのだろう。
西鉄はもちろん西日本鉄道で福岡の平和台球場が本拠地。私はプロ野球はテレビでもあまり見なかったが、中西、豊田、稲生などの名前はさすがに知っていた。父親は夜自宅にいる時は毎晩テレビでプロ野球を見ていたが、たまに中西選手が打席に立つと寝ている私を起こして見させたのを覚えている。
父親はスポーツが見るのもするのも好きだったが、私はおよそ運動神経がなかった。走れば遅く、泳ぐのは苦手で、球を投げても遠くに飛ばない。覚えているのは父の会社の慰安旅行で海に行ったこと。いやがる私を引っ張ってどんどん海の深いところに連れて行って、遮二無二泳がせた。私は海水を飲み、本当に苦しかった。
スポーツが嫌いな私は、昔から本を読むのが好きだった。そんな私を父はどう思っていたのだろうか。これが全く想像がつかない。本当は中学の体育の先生くらいになって欲しかったのだろうが、国語か英語の先生でもいいかくらい思っていたのか。それが映画の先生とは。
訃報と言えば、今朝の「朝日」の「天声人語」にヘンガメ・パナヒさんのことが書かれていた。私も何度か会ったが、普通の死亡記事が出ていないのにいきなり「天声人語」とは驚いた。67歳とはまだ若い。
付記:コメントのご指摘で「稲生」を「稲尾」に訂正
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コメント
私は九州の生まれではないが、中西太さんが好きで、西鉄ライオンズファンでした。今では西武ライオンズが身近ですが、セリーグは中西さんの義父である三原監督の大洋ホエールズでした。
古賀さんを見ると、思い出していました。
ちなみに「稲生」ではなく、「稲尾」さんです。
投稿: M. M。 | 2023年11月12日 (日) 15時41分
稲尾は凄かった。シーズン42勝とか。
親父は、アンチ巨人。東京なんで、テレビは巨人の試合しかやってなく、いつも巨人負けろと見てました。私は、少し巨人ファンだったかも。
長島巨人の1年目は、巨人が最下位で、親父はすごく喜んでたんだけど、日本シリーズで巨人が負けるのが見られんのて、面白くないと言ってました。
投稿: jun | 2023年11月14日 (火) 23時00分