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2023年11月24日 (金)

『李陵』に震える

ちくま文庫の「教科書で読む名作」シリーズで中島敦の『山月記』を読んだことをここに書いたが、最近同じ文庫に入っていた『李陵』を読んで震えるほど心を動かされた。『山月記』は虎になってしまった男が、旧友を見つけて話をする内容だが、『李陵』も少し似ている。

こちらは漢から匈奴退治のために派遣され、敵に捕らえられて捕虜としてそこで生きる男の話だ。つまり意に反して故郷を去り、仮の身で生き続けて故郷や家族や友人を思うという点で似ている。さらに『李陵』では、司馬遷や蘇武といったこの時代に同じように不幸な目にあった男を対比して、さらに奥行きを深めている。

司馬遷はもちろん『史記』の筆者だが、あの長大な歴史書を書くきっかけは李陵にあった。李陵は最初戦死したと思われていたが、捕虜となった知らせが漢に届くと、武帝は激怒した。周囲の取り巻きは武帝に気を使い、「口を極めて彼らは李陵の売国的行為を罵る」。

「ただ一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた」「その男はハッキリと李陵を褒め上げた」。すると一人が「遷と李陵の親しい関係について武帝の耳に入れた」「李陵の家族よりも司馬遷の方が先に罪せられることになった」「刑は宮と決まった」「宮刑とはもちろん、男を男でなくする奇怪な刑罰である」

そして司馬遷は歴史を書くことに集中する。「生きることの喜びを失いつくした後もなお表現することの喜びだけは生き残り得るものだということを、彼は発見した」。「稿を起こしてから十四年、腐刑の禍に遭ってから八年」、通史ができる。そしてまもなく亡くなる。

李陵は賓客の礼をもって遇せられた。漢軍がある時匈奴に破れると「敵の捕虜が、匈奴軍の強いのは、漢から降った李将軍が常々兵を練り軍略を授けてもって官軍に備えさせているからだと言ったというのである」。武帝は激怒し、「陵の老母から妻、子、弟に至るまでことごとく殺された」。李陵は怒り匈奴に協力を約束し、王の娘を嫁にもらった。

同じく匈奴に捕虜になった男に、かつての知り合いの蘇武がいた。彼は鼠を食べながら生き延びていた。「蘇武は義人、自分は売国奴と、それほどハッキリ考えはしないけれども、森と野と水との沈黙によって多年の間鍛えられた蘇武の厳しさの前には、己の行為に対する唯一の弁明であったわが苦悩のごときは一溜りもなく圧倒されるのを感じないわけにいかない」

武帝が死んだ時、それを告げると「蘇武は南に向かって号哭した。慟哭数日、ついに血を吐くに至った。その有様を見ながら、李陵は次第に暗く沈んだ気持ちになっていった」「自分には今一滴の涙も浮かんでこないのである」。そして李陵を呼び戻そうと漢から使いが来るが断る。蘇武は漢に帰ってゆく。

「今でも己の過去を決して非なりと思わないけれども、なおここに蘇武という男があって、無理でなかったはずの己の過去を恥ずかしく思わせることを堂々とやってのけ、しかも、その跡が今や天下に顕彰されるという事実は、何としても李陵にはこたえた」

こうして漢文書下ろしのような文章をいくつも書き写したのは、そうするとこの小説のありがたみが蘇ると思ったから。

 

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