『VORTEX ヴォルテックス』に考える
ギャスパー・ノエ監督の『VORTEX ヴォルテックス』を劇場で見た。この監督は中編『カルネ』(1998)が苦手だったので、それ以来見ていない。「鬼才」と言われたが、いかにも計算づくの感じがした。今回新作を見に行ったのは、予告編で主演の俳優たちに驚いたから。
老夫婦を演じるのが、イタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントと『ママと娼婦』で一生忘れない姿を演じたフランソワーズ・ルブランという組み合わせに、どうしても見ておきたいと思った。ダリオ・アルジェントの映画は実は全く見ていなかったが、『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』を書く時に何本も見て、その「知性」に驚いた。
しかしフランス語を話せるのかなどと思いながら見に行くと、強いイタリア訛りながら自由にフランス語を操り、イタリア生まれでパリで活躍する作家の役がピッタリだった。いや、妻の認知症や自分の心臓病に悩みながらも次の本を準備しつつこっそり愛人に電話する姿は、そのものだったと言った方がいい。
フランソワーズ・ルブランはあの愁いを帯びた美貌がそのまま年をとって太り、自信ありげだが時々「どうでもいい」「もう死にたい」と弱気になる元精神科医を演じていて、こちらもそのもの。突然買物に出かけるが何を買うかわからなくなり、知り合いの薬局に行って大量の薬を自ら処方する。
かつて麻薬に悩んだ息子ステファンは、子供を連れて会いに来る。彼は両親にアパートを売って施設に入るように勧めるが、父は自分の本や資料は売らないと言い張る。そんな時、父が心臓発作で倒れる。
ポイントは、すべてが真ん中から割れた分割画面で見せられること。2つのカメラはたまに同じ光景を捉えるが、寝ている時も含めて夫婦を別々のカメラで撮る。まるでそれぞれに違う視点や風景があるように、2人の別々の行動が見せられる。いかにもこの監督らしいわざとらしさだが、この映画に関してはこれが実にうまく機能している。
2人は死んでゆくが、最後に母の葬儀の時に2人の若い頃からの写真がいくつも出てくる。2人の俳優の実際の写真をコラージュしたものだが、いかにも何十年も過ごした夫婦のようだった。そこにゴダール『軽蔑』(だったと思う。とにかくジョルジュ・ドリュリューの音楽)が流れると、心が締め付けられた。
そこでは20代や30代の血気盛んなダリオ・アルジェントと知的な美しさを見せるフランソワーズ・ルブランが仲良くしていた。もちろん合成写真とわかっていても、それぞれの映画と生きた人生を考えて胸が一杯になった。
2時間半近くもボケ老人夫妻を別々に2つのカメラで撮ったドキュメンタリーのような作品だが、私には十分こたえた。
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