今年は父が死んだ年になる:その(18)
このまま行けば、今年は無事に終わりそうだ。そして半年もすると、父の年を越す。そんな時にギャスパー・ノエ監督の『ヴォルテックス』を見て、いろいろ考えた。この映画では前に書いたように、映画の終りに老いたフランソワーズ・ルブランが亡くなって葬儀がある。
そこで「故人の日々を思い出しましょう」と20枚ほどの写真が出てくる。そこに流れた音楽はゴダールの『軽蔑』の「カミーユのテーマ」でジョルジュ・ドリュリューの作曲だったが、これがどんぴしゃりであの音楽はこういう回想に向いているのだと驚いた。
最初は自分の母親が2019年1月に亡くなったことや、それまでの2、3年のことを考えた。母親の写真はたくさんあったのに、お葬式までバタバタで最近の写真を中心に10枚くらいが流れたのみ。次の法事では子供たちが写真を持ち寄ってたくさん見たらいいなと考えた。
映画を見終わって自宅に帰り、映画音楽のCDを探した。実はその時点ではドリュリュー作曲でもトリュフォーの『アメリカの夜』の音楽だと考えていた。そのCDはなかったが、ユーチューブにドリュリュー本人が指揮をしている映像があって「これではない」。
『軽蔑』は何とサントラ盤CDを持っていた。まだVHSもなかった1980年代前半頃までは、サントラ盤というのが映画を「所有」する唯一の方法だったのを思い出す。それをかけたら、「ああこれだった」。輸入盤だったが、当時はどんどん輸入していた。
「カミーユのテーマ」は2分半しかない。もし100枚の写真ならば足りないだろうと、今度は自分の写真を集める気分になってきた。足りなければ『軽蔑』の冒頭のクレジットで流れる音楽は「カミーユのテーマ」のバリエーションで2分だからこれを足してもいい。
ちなみに『アメリカの夜』の音楽も鮮烈で素晴らしかった。青春の瑞々しさ、楽しさがたっぷり出ていていいかもしれない。この中心部分の音楽「グランド・コーラス」は、2分強あった。ちなみにサントラ盤を持っているのは、フェリーニ『甘い生活』とベルトルッチ『1900年』と小津安二郎のアンソロジー。
『1900年』のモリコーネの冒頭の音楽はいかにも人生を見せるようでいい。これが4分だからこれでいいか。いや、これは葬式の始まりの音楽にして、写真を見せる時に流すのは『軽蔑』、そして終わりには小津の音楽で軽快にしたい。
そんなバカなことを考えながら、幼い頃の写真帳に見入った。これを選んでスキャンしておこうと思うが、さていつやるのかなあ。
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