対談の難しさ
先日、初めて国立映画アーカイブの舞台に上がった。1月5日に始まった「蘇ったフィルムたち チネマ・リトロバート映画祭」でサイレント短編集及び『サタン狂想曲』の上映後に小松弘さんと対談をした。
小松さんと言えば、サイレント映画研究にかけては世界的とも言うべき学者である。国立映画アーカイブの研究員から提案があった時、私は全く迷わずに引き受けた。1つは国立映画アーカイブの舞台に上がることは今後もなかなかないだろうということと、もう1つは30年ほど前から知っている小松さんなら楽だろうと考えたからだった。
私はもともと、展覧会屋、映画祭屋として、裏方を20年ほどやってきた。自分が舞台に立つのはせいぜい司会をするくらいだった。国立映画アーカイブがフィルムセンターだった頃に記者会見の司会をやったことがあったが、ゲストとして出たことはない。
どこでも一度くらいは出てみたいと気持ちもあって、フランスの国立映画アーカイブであるシネマテーク・フランセーズには2016年にパリにいた時に座談会に出たことがある。あるいは東京日仏学院もイタリア文化会館も1度だけ舞台にあがった。
そんなわけで今回もホイホイ引き受けたが、終わってからは少し後悔した。40分時間があったので、せめて15分くらいは自分で話す必要があるだろうと思って、『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』を書いた経緯や2001年の『イタリア映画大回顧』の企画のいきさつなどを話すべくメモを用意していた。
できあがったメモは一人で40分話せるくらいになっていたが、当日小松さんが用意していたパワポを見て、私は急に考えを変えた。彼は『サタン狂想曲』について、映画を製作したチネス社のプログラムやマスカーニが作曲したことをめぐる批評やマスカーニの『サタン狂想曲』を演奏したCDジャケット写真など、レアなものが並んでいたから。
さらに、会場でまず「イタリア映画大回顧」で映画を見た人がどれだけいるかを観客に聞くと70人ほどのうち6、7名だった。これは「イタリア映画大回顧」がどうして始まったかを話しても意味がないことがわかった。そこで聞き手に徹しようとしたが、どうもあまりうまくいかなかった。
たぶん15年も大学の教師をやって、人前で偉そうに90分話す癖がついていると、聞き手はもうできなくなっているのかもしれない。そういえば『永遠の映画大国』を出した時に、集英社のオンラインに載せるからと柳澤一博さんや岡本太郎さんと別々に対談をしたが、この時もなかなか大変だった。
今後は対談は十分に考えたうえで引き受けようと思う。今回は単純にどれか作品を選んで一人で話したいと言えばよかったのかも。
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