最初にパリに行って40年がたった:その(1)
先日、北村陽子さんが亡くなられたという知らせを受けた。私より少しだけ上の65歳とは早過ぎる。彼女は早大でフランスの美術や文学を教えていたと思うが、私にとっては永遠に「1984年にパリで会った留学仲間」の1人。急にその頃のことを考えていたら、40年もたっていたことに気がついた。
何度かここに書いたが、私がパリで1年間過ごしたのは1984年7月末から85年7月末だが、その前に84年3月に2週間だけパリとプラハに行っている。1年間の方は今はなくなったサンケイスカラーシップという制度だったが、事前の旅行は京都外国語大学でのフランス語弁論大会優勝の副賞だった。
弁論大会の航空券はエールフランス航空からの提供で、大阪ーパリ間のチケットをもらった。福岡の大学にいた私は私は自費で福岡から大阪までの新幹線のチケットを買った。今考えると、エールフランスに頼めば福岡から大阪か東京への国内線チケットももらえたはず。
朝出て新幹線に乗って新大阪駅に着き、そこからバスで伊丹空港へ。飛行機は16時頃の出発で何とそれから成田で2時間待つ。そこからグルノーブルに住むフランス人夫婦が横の席に座った。ようやく出発したが、さらにアラスカのアンカレッジ経由で東京からだけで18時間かかった。直行便のない時代で、ほかは評判の悪いソ連のアエロフロートのモスクワ経由15時間の便しかなかった。
パリに着いたのは朝5時頃。私は『地球の歩き方』を持参しており、そこにエールフランスのバスは高いので路線バスを使うことが勧められていた。30分以上かけてようやく乗り場を見つけたが、まだその時間にはバスがなかった。結局エールフランスのバスでオペラ座まで行った。
オペラ座から地下鉄に乗ったが、周りは黒人ばかりで本当に怖かった。それから乗り換えて何とか知り合いが予約していたはずのカルチエ・ラタンのHotel de la Sorbonneに着いた。ところが名前を言うと予約はないとの答え。当時は赤い登山用のリュックを背負っていたが、近くの安そうなホテルを端から当たった。
たぶん2軒目だったと思うが、Hotel de Monacoというホテルに部屋があってすぐに決めた。そこに着いたら猛烈にお腹が空いてきた。そこでホテルを出てソルボンヌ広場のカフェに入って、何と昼用のハンバーグステーキランチを注文した。びっくりされたができるとのことで、ポテトチップスまで全部食べた。すると急にトイレに行きたくなって、カフェの地下のトイレにこわごわと行った。
10時くらいになって知り合いの荒井さんに電話したら寝ていたが、電話に出てきた。彼とホテルで12時に待ち合わせて、それから69番のバスに乗ってトロカデロ広場に着いて、その近くでランチを食べた。牛肉のシチューがおいしかった。
40年も前のことなのに、実に克明に覚えている。Hotel de Monacoの入口や部屋の内装、荒井さんの仕草や言葉、ランチの牛肉まで目に浮かぶようだ。
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